小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

70 散歩の効用 無の時間

 最近、健康診断を受けた。問題なしとの結果だった。 これまで、健康診断や人間ドックを受けると、必ず問題があることを指摘されていた。

 それはそうだ。暴飲暴食、早食い、不規則な一日、慢性睡眠不足の生活を長く続けていたのだから。

 それが、なぜか今回は何もないのである。考えてみた。この1年数ヵ月、歩くことを仕事のようにしていた。それは、托鉢に回る修行僧のようなものだ。歩くといっても、散歩なのである。しかし、ほとんどわき目もふらずに歩くことが多かった。

 その結果、何と6キロの減量に成功した。体は軽くなるし、ベルトはゆるゆるになった。健康診断の結果は、たぶんにこの減量が功を奏したのだろうと思われる。

 現代は、飽食の時代であり、それと反比例するように健康志向の時代でもある。それを裏付けるのは、土日、休日には郊外のレストランや焼き肉屋、回転寿司屋は満員である。そして、散歩する人の目立つことか。

 私の散歩コースの遊歩道は一周すると6.4㌔ある。春夏秋冬の名前をつけてはいるが、あまり変化にはとんでいない。しかし、休日には家族、カップル、自転車、犬の散歩と多くの人たちがこの遊歩道を利用する。

 そうした人びとの顔は屈託がなく、生き生きとしているように見える。私もその一員なのである。

 私には散歩の後の楽しみがもう一つある。週数回、近所のプールで一泳ぎするのだ。かつては2㌔を休みなしに泳いでいたが、現在はクロールで1㌔だけでプールからあがる。

 

 1㌔泳ぐのに、休みなしでも25分を要する。それが私には「無の時間」であり、至福の時間でもあるのだ。 (告白すると、15年もスポーツクラブに通い続けているのに、泳ぐのはクロールだけなのです)