小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1967 コロナ対策でアジア最大の失敗国になる恐れ カタカナ用語氾濫の中で

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「日本はコロナ対策でアジア最大の失敗国になりつつある」「ウイズコロナという政策は愚策」――ある学者の政府のコロナ対策に関する評価だ。客観的な見方だと思う。しかし、こうした声が首相官邸、政府与党には届かないのだろうか。危機のときだからこそ、政治家は異論、批判に耳を傾けるべきだと思う。それができないから、日本のコロナ対策は行き詰っているのではないか。

 コロナ禍の話を続ける。このウイルスによる感染拡大が続いている中で、カタカナの言葉が連発されている。「GoToトラベルが感染拡大の原因であるとのエビデンスは存在しない」、という菅首相の物言いに、違和感を覚えていたが、案の定、GoToトラベルは休止に追い込まれた。どうして今回、このようにカタカナの言葉が氾濫したのだろうか。昨年以降、コロナ禍に絡んで使われているカタカナの用語を挙げてみる。

 

 ウイズコロナ(コロナと共存)

 エッセンシャルワーカー(日常生活に不可欠な職業=医療・福祉、保育、公共交通機関、通信・インフラ、保安、行政、一次産業(農業など)、製造、運輸・物流などにかかわる人たちのこと)

 エビデンス(証拠・根拠・証言)

 オーバーシュート(爆発的に感染者が増えること、感染急増)

 クラスター(集団感染のこと・感染者集団)

 ステイホーム(家にいること)

 ソーシャル・ディスタンス(人と人との距離を物理的に開けること・社会的距離)

 テレワーク(在宅勤務・「tele = 離れた所」と「work = 働く」をあわせた造語)

 東京アラート(警報)

 トリアージ(コロナ禍など多数の傷病者が発生した場合に、患者の緊急度、重症度に応じて治療の優先度を決めること)

 パンデミック感染症の世界的大流行)

 メガクラスター(巨大な感染者集団) 

 リモートワーク(遠隔勤務をすること。インターネットを使って連絡を取る)

 ロックダウン(都市封鎖)

 

 言葉は生き物といわれる。今回の新型コロナ感染症は世界的大流行を見せており、カタカナの言葉が使われるのも、やむを得ない一面がある。日本語にすると、衝撃を与えたり厳しい印象を与えたりするのを防ぐために印象が柔らかいカタカナ言葉を使う、という見方もある。

  元朝日新聞記者(1975~88まで天声人語を執筆)の辰濃和男は、『文章のみがき方』(岩波新書)の中で、行政やマスメディアはカタカナ言葉の氾濫に対してある程度の原則を持つべきだと書き、3つの原則の例を示している。

 1、世の中の動きにつれて、いかなるカタカナ言葉も「はやるものははやるのだ。やむをえない」という態度をとる。いってみれば今のまま野放しにするという、全面降伏の原則。

  2、きれいな日本語を大切にするという規範を重んじ、使う必要のないカタカナ言葉はなるべく使わないことを原則にする。どうしても使う必要のあるときは、日本語の言い換えを併記する。

  3、カタカナ言葉はいっさい使わないことを原則とする。たとえば、新しくて難解な経済用語、技術用語が海外からやってきたら、当該組織が議論の場を設けて、常に言い換えを考える。

  辰濃自身は2が妥当としているが、そのうえで「ほかにもさまざまな原則があるでしょう。しかし時代の変化の激しさを考えると、カタカナ言葉を抑制する原則を貫くのは、もはやかなり難しいところにきているように思います」と付け加えている。今回のコロナをめぐるカタカナ言葉の横行は、辰濃のこの予言を裏付けているようだ。

 こうしたカタカナの言葉に拒否反応を示す人は少なくないかもしれない。私もその一人だ。聞いていて「何のことか分かりにくい」という思いをすることがしばしばある。ましてや「東京アラート」とか「エビデンスは存在しない」は、とってつけたようにしか感じられなかった。辰濃の提言の通り、カタカナの後に注釈を付けるなど、読者を意識した工夫をしている新聞社もあるそうだ。上に掲げたカタカナ言葉の幾つかは、いや多くが早く死語になってほしい、と願うこの頃だ。