小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1966 今の日本に必要なものは 半藤一利が残した言葉

IMG_2213.jpg

 今の日本に必要なのは何か? 12日に90歳で亡くなったノンフィクション作家の半藤一利は、『昭和史 戦後篇』(平凡社)で5つの項目を挙げている。コロナで後手、後手に回る政府の対応策を見ていると、そのほとんどが欠けているように思えてならない。その5項目とは……。(以下、その要約。カッコ内は私の昨今の世相に対する感想=独断と偏見です。

 その1。無私になれるか。マジメさを取り戻せるか。日本人皆が私を捨てて、もう一度国を新しくつくるために努力と知恵を絞ることができるか。その覚悟を固められるか。(現代の政治家に一番欠けているのが無私の精神。自分のため、派閥のために動いている政治屋たち)  

 その2。小さな箱から出る勇気。自分たちの組織だけを守るとか、組織の論理や慣習に従うとか、小さなところで威張っているのではなく、そこから出ていく勇気があるか。(タコつぼの中からは広い世界が見えない。極端な官邸主導は忖度官僚を生み出している。そうして出世する官僚は恥や誇りを知らないのだろう。先日、人事院事務総長になった官僚もその一人?)  

 その3。大局的な展望能力。ものごとを世界的に、地球規模で展望する力があるか。そのためにも大いに勉強することが大事。(国の舵取り役を担う上で必須の条件。昨年から続くコロナ禍に対する対応策はその場しのぎとしか見えない。想像力、大局観、複眼的考え方は感じられない。言葉も軽い)  

 その4。他人に頼らないで、世界に通用する知識や情報を持てるか。(戦後75年。米国依存の姿勢は変わらない。かつて世界に誇った技術力はどこに行ったのか)  

 その5。「君は功を成せ、われは大事を成す」(吉田松陰)という悠然たる風格をもつことができるか。(安政の大獄当時、松陰は老中間部詮勝への要撃を企てた。これを心配した弟子や同志が、過激な計画を捨てなければ身の安全にかかわると止めたのに対し、松陰は「君たちは生き延びて功績を褒めたたえられることを考えているのだろう。私は身の安全など考えず、なさなければならない大きなことをやるのだ」と答えたという。松陰の過激な考え方には賛否両論がある。半藤は、精神論として掲げたのだろう)  

――現在の日本に足りないのはそういったものであって、決して軍事力ではない。日本よ、いつまでも平和で穏やかな国であれ。

 半藤が書く通り、平和で穏やかな国であってほしいとだれもが思う。しかし、昨年から続くコロナ禍によって、穏やかな生活は奪われてしまった。今朝の新聞には「緊急事態 7府県追加」「外国人入国 一転全面停止」という見出しが躍っている。一面に菅首相の顔写真が掲載されている。その目が虚ろに見える。

 この本の中で、半藤は「バブル経済崩壊後の日本人がやっていることはノモンハン、つまり戦前の時代と変わらないんじゃないか。やはり幻想的であり、独善的であり、泥縄的というところがあるということ」とも書いている。コロナ禍を報じる新聞の見出しを見ながら、「泥縄的」という言葉に、頷いてしまった。  

 写真 夜明けの東の空。三日月が輝いている。