小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1910 奇跡を願うこのごろ 梅雨長し部屋に響くはモーツァルト

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「奇跡」を辞書(広辞苑)で引くと、「(miracle)常識では考えられない神秘的な出来事。超自然的な現象で、宗教的真理の徴(しるし)と見なされるもの」とある。2020年の今年こそ、奇跡が起きてほしいと願う人が多いのではないだろうか。ある日突然、この地球から、新型コロナウイルスによる感染症が消えてなくなるという奇跡である。だが、どう見ても、この奇跡は起きそうにない。  

 かつて、私は奇跡に近い出来事に遭遇したことがある。太平洋戦争の激戦地だったガダルカナル島(現在のソロモン諸島国)に平和慰霊の公園が完成、この取材に行った際、高台の公園から町に下りるバスに乗った。そのバスがブレーキ故障のために曲がりくねった坂道を暴走し、そのままでは右側の谷に転落する可能性が強かった。谷は深いジャングルになっていて、バスが転落したら乗っていた35人全員の命はなかっただろう。しかし、危機が迫った時、運転手はバスを谷と反対の左側の切り立った崖にぶつけて止めようとした。バスは横転して止まり、30人が重軽傷を負ったが、死者はいなかった。

 実は、助手席に乗っていたガダルカナル戦で生き残った人が大きな声で「レフトサイド!」と叫び、それを聞いた運転手が左にハンドルを切り、ジャングルへの転落は免れたのだった。運転手は右腕をなくす重傷だった。助手席の人は修羅場を経験していたから、危機的状況にあっても冷静で、あのような機転を利かせたのだろう。その後、この事故で死者が出なかったのは奇跡に近いと、記者仲間から言われた。あれからかなりの年月が経た。にもかかわらず、時折、この事故のことを思い出し、緊急の時こそ冷静沈着に行動することが求められると痛感する。  

 それにしても、人類はコロナをどう乗り切るのだろう。ワクチンや治療薬の開発は、世界の研究機関で進められており、あるいはそう遠くない時に開発が成功するかもしれないと思ったりするが、これはあくまで私の願望に過ぎない。パリに滞在していたモーツァルトは、一緒にいた母が病気で亡くなったにもかかわらず、ザルツブルグの父へ悲報は伝えず、心の準備をさせるため重病で危篤であると知らせる手紙(1778・7・3)を書いた。その中の一節

「希望をもちましょう。でも多すぎてはいけません」(『モーツァルト書簡集・白水社』は、よく知られている。これはコロナ禍の現代にも当てはまる言葉ではないか。ワクチンと治療薬の開発によって、コロナが劇的に撲滅する日が近づいているという希望を持ちたい。一方でワクチンや治療薬の開発は容易でないと理解できるから、過大な期待はしない方がいいとも思うのだ。  

 夏休日(なつやすみ)われももらひて十日(とをか)まり(余りと同じ意味の接尾語)汗をながしてなまけてゐたり  歌人斎藤茂吉は処女歌集『赤光』の「七月二十三日」(大正2)の中に、こんな歌を作っている。当時の茂吉は東京府巣鴨病院に勤務する一方、東京帝国大学医科大学(現在の東大医学部)の助手だったから、多忙を極めていたはずだ。そんな中でも十日余の夏休みを取ることができのんびりと過ごした、その心境を歌に残したのだろう。コロナ禍によって、子どもたちの夏休みは例年より大幅に短縮となり、3分の1程度の2週間くらいだという。茂吉じゃないが、子どもたちには短い間だけでもいいから、なまけてさせたいと思う。  

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