小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1890 空いっぱいに広がる山の輝き・さやけき鳥海へ 想像の旅(1)

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 ここにして浪の上なるみちのくの鳥海山はさやけき山ぞ 

 山形出身の歌人斎藤茂吉の歌集「白き山」(1949=昭和24年)に収められている山形、秋田県境にある鳥海山(標高2236メートル)を称えた歌である。

 名作『日本百名山』(新潮社)で、深田久弥は「名山と呼ばれるにはいろいろの見地があるが、山容秀麗という資格では、鳥海山は他に落ちない。眼路限りなく拡がった庄内平野の北の果てに、毅然とそびえ立ったこの山を眺めると、昔から東北第一の名峰とあがめられてきたことも納得できる」と記している。

 山形の県北地域に住む友人から、美しい鳥海の写真が届いた。茂吉の歌を味わいつつ、地図を見ながらつかの間、鳥海への想像の旅をした。鳥海は標高が東北で1、2位を争う高峰(トップは福島県の燧ヶ岳=ひうちがたけ=で2356メートル。鳥海は2番目)とはいえ、茂吉が生れたのは山形県南東部の南村山郡金瓶村(現在の上山市金瓶)だったから、家から鳥海を見ることはできなかっただろう。ただ、茂吉の心の中には、故郷の山としての鳥海が大きな位置を占めていたに違いない。

 深田久弥は「東北地方の山の多くは、東北人の気質のようにガッシリと重厚、時には鈍重という感じさえ受けるが、鳥海にはその重さがない。颯爽としている。酒田あたりから望むと、むしろスマートと言いたいほどである」と、この山の特徴を書いている。

 友人が送ってきた写真は「赤鳥海」と「白鳥海」というキャプションが付いている。前者は夕日に赤く染まる風景で、後者は真っ青な空の下、残雪が白く輝く鳥海の初夏の風景だ。両方ともまさに「さやけき山」の姿であり、こうした美しい山の姿はコロナ禍の日々を忘れさせてくれる清涼剤の役割を果たしてくれるのだ。

 私は20歳代の一時期、秋田に住んでいた。先輩に誘われて鳥海山に何回か足を延ばし、春スキーに挑戦したこともある。雪質が悪く、転んだのは数知れない。鳥海は私にとって青春時代の思い出の一つの山なのである。  

 以前、富山県高岡市でバス運行会社を経営しながら障害者の自立支援のNPOを運営している人に話を聞いたことがある。この人は68歳で起業したのだが、会社員時代に東京支社で3年間勤務したことがある。しかし、電車通勤をしながら「山のない東京はなじめない」と思い続け、希望して富山に戻ったという経歴を持つ。目の前に立山連峰がある風景こそが自分の暮らしに合っていると思ったのです、と話してくれた。毎朝、くっきりとそびえる立山連峰に向かって手を合わせながら「きょうやるべきことを考える」のが日課なのだ。

 では、山形の友人は山を見ながら何を思っているのだろう。以下に掲げる2つの詩のような世界に浸っているのだろうか。

「あらゆる山が歓んで居る/あらゆる山が語って居る/あらゆる山が足ぶみして舞ふ、踊る。/あちらむく山と/こちらむく山と/合ったり/離れたり/出てくる山と/かくれる山と/低くなり/高くなり/家族のやうに親しい山と/他人のやうに疎い山と、/遠くなり/近くなり、/あらゆる山が/山の日に歓喜し/山の愛に点頭(うなづ)き/今や/山のかゞやきは/空一ぱいにひろがつて居る」(河井酔茗「山の歓喜」)

「山は父のやうにきびしく/また母のやうにやさしい/やまをじっと見つめて居ると/何か泪ぐましいものが湧いてくる/そして心はなごみ澄んで来る」(田中冬二「山への思慕」より)

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 写真1、鳥海山の夕景色2、残雪が輝く鳥海山3、懐かしい田園風景 4、その暮色風景5、紫蘭が美しく咲いている(紫蘭咲き満つ毎年の今日のこと 高浜虚子)=いずれも山形の板垣光昭さん撮影。  

 

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