小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1784 いつくしみある地の夏 里山の風景を見る

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 室生犀星の詩集『抒情小曲集』のなかの「小景異情」の「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」(その2より)はよく知られている。同じ詩集の「合掌」にも実は心に染みるものがある。福島の里山を訪ねて、その思いを深くした。

 みやこに住めど  心に繁る深き田舎の夏ぞ  日を追ひては深む  いつくしみある地の夏ぞ      (ハルキ文庫『室生犀星詩集』「合掌」その2より)    

 福島県矢祭町は茨城県境の南端の町だ。人口は約5600人。清流久慈川に沿って田畑が広がる。ユズやコンニャクが名産で、町名にもなった矢祭山(標高382.7メートル)は4月に桜、5月にツツジが咲き、秋には紅葉が美しい景勝地だ。すぐ下を流れる久慈川のアユ漁は6月2日に解禁になった。里山は同町金沢地区にあり、人の手が入ることがなくなり、雑木や杉が生い茂り荒れ始めていた。その里山の再生が数年前から始まっていた。

「来る里の杜」(くるりのもり、全体面積約6ヘクタール)と名付けられた3つの里山の再生活動は、寄付や助成金を基に生い茂った木々を伐採し、その中に遊歩道や東屋を造成、桜をはじめとする様々な花木を植樹するもので、町内や地元のボランティアによって進められた。  

 2017年3月から始まった植樹は▼ソメイヨシノ▼コブシ▼ロウバイエドヒガンザクラ▼カワズザクラ▼カンヒザクラ▼神代アケボノザクラ▼オモイノママ▼ヒトツバタゴ▼サルスベリ▼オオヤマレンゲ▼ヤマツツジミツバツツジ▼ヒノデキリシマツツジ▼カツラ▼ユキヤナギ――と種類が多く、5、6年後には花を楽しむことができるようになるという。麓には「メダカの学校」という名のメダカを観察する小さな池もつくられた。  

 里山は「人里の近くにあって、その土地に住んでいる人のくらしと密接に結びついている山や森林」(広辞苑)のことだ。だが、人口減少と高齢化などにより荒廃が進んでいるといわれる。そんな里山を利用して、花の山に変貌させる取り組みを見て心が弾んだのは言うまでもない。福島市には花木農家が造った花見山公園があり、春の開花期には多くの人たちでにぎわう名所になっている。この杜も将来、そうした風景を見せてくれるだろうか。

「国破れて山河あり そして25年、国栄えて山河は滅びゆく」(『森の文化史』講談社現代新書)と書いたのは森林生態学者・只木良也さんだ。只木さんによると、日本文化史は森林の略奪を繰り返して、森林の犠牲の上に描かれてきたという。昭和40年代後半以降、大仏殿(東大寺)改修、奈良薬師寺の金堂と西塔の再建、焼失した京都平安神宮の再建をはじめ、数多くの社寺の新築・改修に使われた大量のヒノキ材は、実は日本のものではなく台湾中央部の山岳地帯から切り出されたものだった。敗戦によって国土は荒廃したが、豊かな山河は残った。だが、戦後の経済の高度成長期に木材の需要が増加し、日本の山林の多くの木が伐採されてしまい、これらの有名寺社の改修には海外産の木材が使われたのだという。  

 一方、地域の人々に大切な存在だった里山も手入れする人がいないままに放置され、荒廃が進んだ。イノシシなど野生動物も増加し、農業被害も恒常化しているのが現状だ。そうした里山保全の一環として各地で再生活動が進んでいるのだ。「来る里の杜」の遊歩道を上りながら、かつて訪ねた北海道の森林ボランティアの話を思い出した。「札幌近郊の山の植生に変化が起きているのです。藻岩山でも街路樹のニセアカシアが目立ち、放置したら森が荒れてしまう恐れがあります」。  

 日本の杜の風景は、今後どう変化していくのだろう。  

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