小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1731 暮れ行く初冬の公園にて ゴッホの「糸杉」を想う

画像 大阪市長居公園東住吉区)のすぐ近くに住む友人は、この公園の夜明けの風景を中心にした写真をフェイスブックに載せている。最近は夜明けではなく、夕暮れの光景をアップしていた。そのキャプションには「烏舞う夕暮れ。11月27日夕、長居公園ゴッホの絵を想起」とあった。それはゴッホが好んで描いた「糸杉」の絵と印象が似ている。暮れ行く初冬の公園の姿は、たしかにゴッホの世界を彷彿とさせるのだ。  

 手元にあるゴッホ関係の書籍を見ると、ゴッホは風景画を描く際、糸杉、麦畑、オリーブの木、小麦、ヒマワリを重要なモチーフにした。このうち「糸杉」の題で知られるのは1889年6月、南フランスのサン・レミ・ド・プロヴァンス(サン=レミ)にあるカトリック精神療養院「サン・ポール」に入院した直後に描かれた作品で、糸杉がキャンバスのほぼ半分を占めている。この地方で糸杉はどこにでもあり、ゴッホはサン=レミ時代「糸杉のある麦畑」「星月夜」などの作品にも特徴ある姿を取り入れている。  

 ゴッホは、サン=レミに移る前の15カ月、アルルに住んで旺盛な制作意欲を見せた。画家のゴーギャンと共同生活をしたが、個性がぶつかり合って破局を迎え、左耳の斜め下半分を切り落とすという「耳切り事件」を起こす。この後サン・レミに転地療養するのだが、意識の混濁や幻聴、幻視、自殺志向などの発作を繰り返していたという。こうした環境下、「糸杉」は描かれた。  

 糸杉はヒノキ科の常緑針葉高木で、大きなものは45メートルにも達するという。セイヨウヒノキとも呼ばれ、樹形は細長い円柱状になっている。ヨーロッパでは死と悲しみの象徴(花言葉は「死・哀悼・絶望」)とされ、庭園のほかに墓地に植えられるそうだ。トルコの南の東地中海上に位置し、キプロス共和国があるキプロス島(サイプレス)の語源は、古代ギリシャ語の糸杉(kyparissos)だという説もある。

「死と悲しみの象徴」である糸杉をゴッホはなぜ好んだのだろう。自分の死期が近いことを感じていたからなのだろうか。弟テオへの手紙の中で「糸杉は常に僕の思考から離れない」(1889年6月25日)と書いている。ゴッホは「糸杉」を描いた翌年の1890年2月、この絵の中に2人の人物を加筆、さらに同時期に縮小バージョンの「糸杉」を描き、7月29日、37年の生涯を閉じている。  

 ところで、長居公園(総面積65万7,084平米)には私は一度しか行ったことがない。運動公園として知られ、長居陸上競技場はテレビでも名前を聞くことが多い。この公園に面した住まいで生活する友人は、四季折々、風景との対話を楽しんでいるのである。12月の公園はどんなふうに変化して行くのだろう。  

友人の写真(フェイスブックより)  

写真はゴッホの縮小版「糸杉」(ゴッホ展図録集より=1985国立近代美術館)  

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