小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1726 人間に付きまとう魔物 ゴーン氏と富について

画像

 日産自動車カルロス・ゴーン氏が東京地検特捜部に逮捕されたことだけでなく、逮捕の理由を聞いて驚いた人は多いだろう。5年間に100億近い報酬を得ながら、その半分しかもらっていないと、有価証券報告書に申告していたというのだ。私はこのニュースを見て「守銭奴」という言葉を思い浮かべた。ゴーン氏にこの言葉が当てはまるかどうかは分からない。だが、世の中は金持ちほど、金に汚いという現実があることを改めて感じている。  

 フランスの17世紀の劇作家、モリエールに『守銭奴』(岩波文庫)という作品がある。金を貯めることに執念を持つアルパゴンという男が、金のために娘の幸福を奪い、息子との間で息子の恋人を奪い合う。高利貸しを風刺し金銭欲にとらわれた人間の醜悪な姿を描いた喜劇である。  

 普通の暮らしをしている私には理解不能だが、人間は金という魔物に付きまとわれると、心まで変わってしまうようだ。そして、いつしか「守銭奴」(金銭欲の強い人間)へと堕ちてしまうのだ。  手元にあるベーコンの『随想録』(岩波文庫)に「富について」(34)というエッセーがある。この中でベーコンは、富について「自慢するような富ではなく、正当に得て、まじめに使い、こころよく分け与え、満ち足りた心で残せるような富を求めるのがよい」と書いている。また富の蓄え方について「蓄える道はいろいろあるが、その大部分は不潔である」とも述べ、「一文惜しみはしないがよい。富には翼があって、時おりひとりでに飛び去るし、また時にはもっと多くをもってくるために飛び立たせなければならない」とも説いている。  

 ベーコンの言葉をゴーン氏が知っているかどうか分からない。富の蓄え方に対する「その大部分は不潔である」という指摘は、今回の事件と符合するように思えてならない。それにしても、毎年巨額の報酬を得ていたゴーン氏は金に対してどんな感覚を持っていたのか、聞いてみたいと思うのは私だけでないだろう。  

 日産のカリスマ経営者といわれたゴーン氏は、その力ゆえにいつの間にか「裸の王様」になってしまったのだろうか。アンデルセンの童話のごとく、高い地位についた人物は、何でも思い通りにできると過信し、自分を見失ってしまいかねない。歴史上、そうした人物は枚挙にいとまがないほどで、現代日本にもそんな人物が間違いなく存在する。ゴーン氏逮捕は、そのことを実感させるのだ。  

 それにしてもゴーン氏は、なぜ自身の役員報酬を低く見せようとしたのだろう。ソニーは2018年3月期決算の有価証券報告書で、前社長の平井一夫会長の役員報酬が27億1300万円だったと公表している。コストカッターといわれ、2万人もの従業員の人員整理をしたゴーン氏は高額報酬を得ることに後ろめたさがあったのだろうか。いずれにしろ、ゴーン氏逮捕は「拝金主義時代」を象徴する事件のように思えてならない。