1686 夕焼けの中で 郷愁誘う自然の芸術
私は夕焼けを見るのが好きだ。なぜ? 大空に展開する自然の芸術に陶酔する時間がたまらないのかもしれない。昨日の夕、久しぶりにこの風景に出会った。猛暑続きの日々、夕焼けは翌日の好天の予兆だそうだ。その通り、きょうも朝から暑い。
昨夕、エアコンが効いた部屋からふと外を見ると、西の空が赤く染まっている。すると私は無意識の行動をした。コンパクトカメラを持って外に飛び出したのだ。歩いて数分の調整池のベストポジションに向かう。調整池の一角の森とその後ろに小学校のとんがり屋根が見える場所だ。そこには美しい夕景が展開していた。カメラを構える私の横にはスマートフォンを持った若い女性がいて、夕焼けに向かってシャッターを押している。
写真を撮りながら、昨年9月この場所でやらかした失敗を思い出した。あの日も同じように西の空には絶景ともいえる夕焼けが広がっていた。この風景を写真に収めるのに夢中になった私は、遊歩道と上の公園との間の斜面で繰り返しカメラのシャッターを押していた。その最中にぬかるんでいた場所で足を滑らせて転んでしまった。その結果、右足の大腿四頭筋断裂という大けがをして入院、手術という思わぬ事態を招いたのだった。家族からは「年甲斐もなく」と揶揄され続けるが、弁解のしようもない。そんな失敗があったから、今回は撮影場所には気を付けた。足元に注意し、危ないところには行かない。
夕焼けは、なぜか郷愁を誘うらしい。空を見上げていると子どものころを思い出し、童謡「夕焼小焼」(中村雨紅咲作詞、草川信作曲)や「赤蜻蛉」(三木露風作詞、山田耕筰作曲)のメロディが浮かんでくるのだ。東京を歩いていて、夕方の5時になると「夕焼け小焼け」の曲が流れていることに気が付いた人は少なくないだろう。早とちりして子どもに帰宅時間を知らせるものだと思う人もいるかもしれないが、そうではない。
東京では、災害時に停電になっても自家発電装置で各区役所からの緊急警報などを防災行政無線で放送できるシステムになっている。そのシステムが正常に機能しているかどうかを確認するため、放送用スピーカーで「夕焼け小焼け」(多くの区役所がこの曲を採用している)を毎日流しているというのだ。繁華街を歩いていて束の間、「里の情景」を懐かしく思い出す人もいるだろうから、この試験放送は別の面でも効用があるのかもしれない。
遠き日のことのごとし夕焼けて 加藤楸邨
写真1~4、わが家周辺の夕焼け5、沖縄那覇市の19日の夕景色6、同・朝の虹