小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1685 害虫と益虫をめぐる勘違い 「こがねむし」の歌私見

画像

 毎年、いまごろの暑い時期になると、庭のナツツバキ(シャラノキ)に昆虫がやってきて葉を食い荒らす。体長2・5センチほどの昆虫だ。背中は緑色に光っている。私はこの昆虫をカナブンだと思い込み、家族に「またカナブンが来ている」と話した。だが、調べてみると、カナブン(青銅色)は実は益虫であり、庭に来ていたのはコガネムシだった。この虫が題名になったよく知られている童謡があるが、こちらも実はこの虫を歌ったものではないようなのだ。

 カナブンとコガネムシは同じコガネムシ科の昆虫だが、前者の幼虫は落ち葉などの腐植を食べ、良い土をつくることにつながる。また成虫(体長2センチ)はカブトムシやクワガタとともにクヌギなどの樹木に穴をあけずに樹液を吸って餌にする。こうしたことから、益虫の部類に属するという。これに対しコガネムシの幼虫は樹木や野菜の根を食べ、成虫は葉や花にを食べてしまい、樹木や野菜の生育に大きな影響を及ぼす害虫なのだという。  

 同じコガネムシ科とはいえ、害虫と益虫に分かれるのだから、自然界は不可思議で面白い。そして、コガネムシはまた童謡でも誤解されて登場する。野口雨情作詞、中山晋平作曲の「こがねむし」(1922、大正11年発表)という歌だ。  

 黄金虫は金持ちだ  金蔵建てた蔵建てた  飴屋で水飴買つて来た  黄金虫は金持ちだ  金蔵建てた蔵建てた  子供に水飴 なめさせた  

 だが、この詩の「黄金虫」は害虫のコガネムシではなく、玉虫のことだという説が有力だ。私も幼いころからこの歌に出てくる黄金虫は玉虫と信じている。野口雨情は茨城県磯原町(現在の北茨城市)出身で、この地域から福島県南部地方にかけては玉虫のことをコガネムシと呼んでいることを見ても、歌に盛り込まれたのは玉虫のことらしいのだ。玉虫は体長が4センチ、光沢のある金緑色をしていて金紫色の2条の縦線がある美しい羽根を持っている。  

 奈良・法隆寺所蔵の仏教工芸品、玉虫厨子(たまむしのずし)は装飾に玉虫の羽根を使っており、飛鳥時代(7世紀)に制作された国宝だ。このように玉虫の羽根は、昔から装飾品に使われている。玉虫ををタンスに入れておくと縁起がいいというので、祖母や母が布に包んでタンスに入れるのを見たことがある。

 この歌の最後にある水飴は、奈良時代からつくられていたとみられる。現在、水飴は菓子や料理の甘味料として使われているが、かつてはこれを直接子どもになめさせた時代があり、貧しい家庭では水飴はごちそうだったようだ。そうした背景を基に雨情は、縁起のいい昆虫をタンスに入れて大切にした結果、家も豊かになって子どもに水飴を買ってやることができたという光景を思い描き、このような詩を書いたのだろうか。