小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1684 仏像との対話 皮相浅薄時代に

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「君たちは古美術品が語りかけてくることを一言一句聞き漏らしてはならない」日本の古美術再生運動を指導した岡倉天心(1863~1913)は、東京美術学校東京芸大の前身)校長就任の際のあいさつで、こう話したという。明治維新後、日本では廃仏毀釈の運動が全国の寺を襲い、多くの寺院や仏像が被害を受けた。明治政府が神仏集合をやめ神仏分離を布告したことがきっかけだった。廃仏毀釈は明治4年の廃藩置県後下火になり、仏教復興へと流れは変化した。だが、この短期間の破壊行為は日本の古文化財に計り知れない打撃を与えた。こうした古美術再生、保存運動の先頭に立ったのが米国人アーネスト・フェノロサの薫陶を受けた岡倉天心だったことはよく知られている。  

 ことしは明治維新から150年になることは、6月28日のブログ「恩讐のかなたに」で書いている。その後、太平洋戦争によって日本の古美術はまたも被害を受けたのだが、天心らの努力がなければ、多くの古美術は再生ができなかっただろう。天心が東京美術学校の校長に就任したのは明治23年10月のことで、天心は学生と教師全員を講堂に集めて、学生に向けてあいさつした。それは、古美術との対話を求める内容だった。

「ここにいる先生方は君たちの本当の先生ではない。君たちの本当の先生は古美術品である。江戸時代の小堀遠州が言ったように、君たちは古美術品の前に立ったとき、高貴な人に拝謁を得たような気持ちにならなければいけない。まず居住まいを正し、そしてその古美術品が語りかけてくることを一言一句聞き漏らしてはならない。それは先生方も学生諸君も同じである。(中略)この会場にいるもの全てが、ともに日本の古美術品が語っていることを本当に師として仰ぎ、そこから学んでいかなければならない」(西村公朝『仏像は語る』・新潮文庫)  

 仏像に代表される古美術品が物を言うことはもちろんない。だが、古美術品は様々な見方ができる。受け止め方は人ぞれぞれに違うだろうが、その姿からは人の心を打つ何かが伝わってくるはずだ。天心はそれをこのように表現したのだ。

 完成した仏像は入魂(じっこん=開眼式)し、修復の際には魂を抜く「撥遣(はっけん)式」をやるという。仏像には心があると信じられており、天心の言葉はそれを伝えているといえる。腐食したり、欠損したりした仏像を修復するのが仏像修復師だ。この仕事を目指す若者を描いた麻宮ゆり子著『仏像ぐるりのひとびと』(光文社文庫)を読むと、天心が言うように古美術と対話する修復師の存在を信じることができる。

 作品は2浪して京都の大学に入った仏像好きの若者が仏像修復のアルバイトをする中で、この仕事こそ天職と思い、新しいスタートを切る話である。仏像にあまり縁のない者でも、若者の生き方を探る姿勢に好感を持って読み進めることができる小説だ。

 日本の国宝などの古美術品を修理する美術院の初代の責任者は、天心に心酔した彫刻家の新納忠之介(1869~1954)であり、文化財修理の基礎を築いたといわれている。新納もまた、古美術品との対話を続けた生涯を送ったといえるだろう。皮相浅薄な人物が横行する時代、天心の姿勢に惹かれるのは私だけではないだろう。