小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1679「本を読むことはひとりぼっちではない」 苦闘する書店への応援メッセージ

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 日本各地で書店・本屋が消えている。郊外のショッピングセンター内の大型書店の出現やアマゾンなど通販サイトの普及、さらに電子書籍の参入と若者の本離れなど、背景には様々な要因があるだろう。書店が一軒もない町や村は今ではそう珍しくはない「書店が少ない国は文化レベルが下がってしまう」と思うのは、早計だろうか。  

 日本の書店数は 1999年に2万2969店だったのが、以降毎年減り続けている。2002年は1万9946店、2009年1万5765店、2012年1万4696店、2017年(5月1日現在)1万2526店で、この19年間で9770店も消えてしまった(日本著者販促センターのHP・出版業界紙新文化」とマスコミ専門紙「文化通信」のデータを基にした統計)。

 しかも、この店数は本部や営業所、外商のみの書店(以前は書店として営業、現在店舗はなく近くの小中学校に教科書のみを収めているというケース)も含めており、実際の書店数は9800店前後と推定されるという。書店が苦闘する時代が続いているのは寂しい限りである。  

 なぜ書店のことを書いたかといえば、最近アメリカの小説『書店主フィクリーのものがたり』(ガブリエル・セヴィン著、小尾美沙訳、ハヤカワepi文庫)を読んだからだ。舞台はアリス島(架空の島)という小さな島で、唯一の書店を経営する店主フィクリーの物語である。  

 フィクリーは愛する妻を自動車事故で亡くしは酒浸りの日々を送っている。店には彼が好む優れた文学書がびっしり置いてある。ある夜フィクリーは大事にしていたエドガー・アランポーの詩集『タマレーン』を見ながら泥酔して寝込んでしまい、詩集が盗まれてしまう。40万ドル(4400万円)以上で売れるという稀覯本だが、警察が捜査しても見つからない。その後、店内の一角に女の赤ちゃんの捨て子があり、彼はこの子を引き取り、育てることにする。  

 物語は店主と捨て子のマヤ、後にフィクリーと結婚する出版社の営業担当アメリア、フィクリーの友人で警察署長のランビアーズ、フィクリーの死別した妻の姉で作家の夫に不信感を持つイズメイを軸に展開する。淡々とした筆遣いながら悲しく、ほろりとするストーリーが続いていく。  

 終盤、脳腫瘍に侵され失語症になったフィクリーは本好きなマヤに、心の中で呼び掛ける。「ぼくたちはひとりぼっちではないことを知るために読むんだ。ぼくたちはひとりぼっちだから読むんだ。ぼくたちは読む、そしてぼくたちはひとりぼっちではない。ぼくたちはひとりぼっちではないんだ」。私はこの言葉を「本を読むということは孤独な作業だ。でも、活字の世界は途方もなく広くて大きい。

 そこには様々な知恵や夢、希望が散りばめられている。だから本を読むことは、決して孤独ではない」と解釈する。本好きを支えるのはフィクリーのような人が営む書店なのだと思う。この本は、苦闘する書店への応援のメッセージといえるだろう。  

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