小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1671 サッカーの祭典と子規  苦しみは仁王の足の如し

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 サッカーW杯ロシア大会が始まった。テレビニュースを見て、なぜかワクワク感があることに気づいた。それは同じように4年に1回開催されるオリンピック(夏、冬2年の間隔)の開幕とほぼ似た感覚だ。これは私だけでなく、スポーツを愛好する多くの人に共通するものなのかもしれない。  

 サッカーのテレビ中継は日本代表の試合は見るが、それ以外(Jリーグ)はほとんど見ない。熱心なサッカーファンではない。だが、W杯となると、一時的ながらサッカーファンになってしまうのだ。日本チームはW杯の出場を決めながら、このほど突然ハリルホジッチ監督が解任され、大騒ぎになった。最近の不振や選手とのコミュニケーション不足が理由だという。  

 W杯目前にして指揮官が代わったのだから、冷静に見れば大会での日本チームの活躍は期待できない。本番前のテストを兼ねた2試合は得点ゼロで敗戦、ようやく3戦目のパラグアイ戦に勝ち、少しだけ希望の光が見えてきた感がある。とはいえ、大会では苦戦が予想されている。外国チームのような飛び抜けた選手はいないのだからそれも仕方がないことだろう。ブラジル五輪の男子400メートルリレーで日本チームが銀メダルを獲得したように、固いチームワークで善戦するのだろうか。  

 W杯のスペイン――ポルトガル戦をテレビで見た。スペインは直前に監督を解任したばかりだった。ポルトガルロナウドハットトリックを達成した。最初のペナルティは、わざと倒れたように見えた。それは別にしても、この試合を見ていてワクワク感がした。これがスポーツ観戦の醍醐味なのだろう。  

 かつて日本では蹴球と言われたように、サッカーは足のスポーツだ。野球が大好きでスポーツに関心が高かった正岡子規は、脊椎カリエスで死の直前、随筆集『病状六尺』の中で、以下のようなことを記している。子規の病床での苦しみが伝わる文章だ。昨年右足をけがした私は、足こそ人間が生きるうえで極めて大事であることを再確認する思いで、この文章を思い浮かべながらテレビの映像を見続けた。

「足あり、仁王の足の如し。他人の足の如し。足あり。大磐石の如し。僅かに指頭を以てこの脚頭に触るれば天地震動、草木号叫、女媧(じょか、中国古代神話上の人頭蛇体の神で、人類の創造主とされる。天の支柱が折れて空が崩れようとした時、五色の石を練って空の割れ目を繕い、大亀の足を切って天の支柱にしたという)氏、いまだこの足を断じ去って、五色の石を作らず」

(ブログ筆者の意訳=私の足は腫れてしまって仁王様の足のようだし、他人の足みたいだ。そして大きな岩石のようでもある。ちょっと指で触っただけでも、天地が震動し草木が泣き叫ぶほどの痛みだ。女媧でも私のこの足を切り取ってはくれないだろう)