小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1668 被災地に流れる交響曲 自然との共生願って

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 仙台の友人がアマチュアオーケストラで、ベートーベン(ベートヴェンとも表記)の交響曲6番「田園」を演奏したという。この曲は多くの人が知っていて、かつては同名の名曲喫茶店もあった。そのポピュラー性が嫌われるのだろうか、クラシック専門家の評価はそう高くない。だが、友人のブログを読んで久しぶりにCD(カラヤン指揮ベルリンフィル)を聴いてみると、懐かしさが蘇った。  

 山形に住む別の友人から「今は『さなぶり』です」というメールが届いた。田植えが終わった後のお祝いあるいは休日のことを言うのだが、水を張った田んぼに植えられた稲が風にそよぐ中、畦に立つ友人の姿を思い浮かべた。この友人は今、学芸員の取得を目指して学んでいる。素敵な定年後の目標だ。畔に立つ友人はイヤホンを耳に指しているかもしれない。聴いているのはベートベンのこの曲だろうか……。ベートべンは6番の初演の時、第1バイオリンのパート譜に「田舎での生活の思い出。絵画というよりも感情の表出」と書いたという。第5章から成るこの曲を聴いて、私は故郷の山や川、友人たちを思い出す。  

 仙台の友人のオーケストラは「仙台シンフォニエッタ」といい、友人は最近までコンサートマスターを務めていた。現在はその席を若い人に譲り、オーケストラの代表を務めながらバイオリンを弾いている。6月3日の定期演奏会は40回目の記念演奏家だった。以下、友人のブログから、この曲に関する部分を一部要約して引用する。

「休憩をはさんでベートヴェンの交響曲第6番『田園』。夏に向かうこの時期にふさわしいこの名曲を選んだ。『田舎に着いた時の晴々とした気分の目覚め』、『小川のほとりの情景』。それぞれの楽章にベートーヴェン自身が標題を書いている。言うまでもなく作曲者が愛したウイーン郊外の自然とのふれあいの中で生まれた。しかし、曲全体から伝わるのは自然と共生する喜びであり、豊かな東北の自然とともに生きる私たちが十分共鳴できるものだ。とりわけ、震災で『自然と人間の関わり』を改めて考えさせられた私たちであればこそ、わが想いをこめて演奏できた」

 友人は社会部記者だった。殺伐とした事件や陰湿な社会悪を追いながら、弱い人を思いやる記事を書き続けたことは容易に想像できる。7年前の東日本大震災を仙台で被災した友人は、地道に被災地を訪ね歩き、自分の目で見た復興の姿をブログで書き続けている。つらい時、苦しい時、悲しい時、友人を支えたのは音楽だったのではないだろうか。ブログを読んで、そんな感懐を抱いた。  

友人のブログ・震災日誌 in 仙台