小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1676 思い出の花を求めて 乃南アサ『六月の雪』

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「欖李」(ランリー)という花の存在を初めて知った。乃南アサの小説『六月の雪』(文藝春秋)は、32歳の杉山未來という女性がけがをして入院中の祖母を励ますため、祖母が生まれ育った台湾の台南を訪ねる物語だ。祖母は台南で「6月の雪を見た」と記憶し、その真相を探る未來の旅の中でこの花が作品の題名に通ずる、重要な役割を演じているのだ。   

 台湾で「欖李」といわれるこの花は、和名で「ヒルギモドキ」(蛭木擬)といい、アジア、アフリカ、太平洋の熱帯から亜熱帯地域(沖縄本島が北限)に生育するシクンシ科の常緑樹でマングローブの樹種に属する。幹が直立し樹高は10メートルにもなるが、沖縄のものは4~5メートル程度という。葉は卵状か広楕円形、多肉質で光沢がある。3~7月ごろに白い花(5弁花)が咲く。環境省の絶滅危惧IA類 (CR)(環境省レッドリスト)に指定されており、日本ではかなり少なくなっているようだ。

『六月の雪』で、台南を訪れた未來は祖母のルーツを求めて旅をし、さまざまな人と出会い、苦難の人生を歩んだ女性の話も聞かされたりする。そんな中で未來は祖母が「6月に海に行く途中、雪を見た」と言ったことが頭から離れない。そして、旅の終わりにこの花に出会うのだ。そのシーンを乃南は以下のように書いている。

《「これ。六月の雪」  劉慧雯が日本語で言った。未來は「これが」と呟いたきり、その場に立ち尽くした。  

 確かに、雪と言われれば雪のように見えなくもなかった。だが未來の中では、もっと辺り一面を真っ白に埋め尽くすほどに淡雪のような花が咲き乱れている風景が思い浮かんでいた。または、たとえば満開の桜並木のような風景だ。正直なところ、この光景はそういう雪景色とは違っている。降り積もるその前に、やっとほんのり雪化粧をしたばかりという、そんな景色だった。  

 顔を近づけてよく見れば、一センチにも満たない小さな花は、笹の葉形の花弁を持つ、ちょうど星のような可愛らしい姿をしている。その小さな花々が五輪、十輪と一本の軸にまとまって咲いて、木々の隙間を埋め尽くしているのだった》  

 人には思い出に残る花が1つや2つあるだろう。未來の祖母は「欖李」をまるで6月に雪を見たように思えて、忘れることができなかったのだ。『六月の雪』という題に不思議な感じを抱いた。小説の舞台が台湾であるということで、強い興味を抱いて手に取った。小説にとって、タイトルは読者を惹きつける大事な要素であることは間違いない。  

 かつて台湾は日本の植民地だった。多くの日本人が住んでいて、台湾で生まれたという知人もいる。しかし、当時の台湾の実情を盛り込んだ本は、旧満州や韓国ものに比べると少ないのではないか。私は直木賞を受賞した東山彰良の『流』くらいしか頭に浮かばない。その意味でも、乃南の作品は台湾の現状や過去の歴史に関心がある者には役に立つ本だといえる。  

 前述のように、ヒルギモドキは沖縄本島が北限だそうだ。沖縄といえば、前回のブログに写真を掲載した「サガリバナ」も奄美大島が北限の常緑高木で、多くはヒルギモドキ同様マングローブの周辺に生育しているという。娘家族が那覇市の高台首里地区に住んでいるが、近所の通りにも白やピンクのサガリバナが咲き始めた。娘家族には、初めて見るこの花が沖縄生活の思い出の花になるのかもしれない。

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 写真 1、近所に咲いたネムノキノハナ 2、首里のサガリバナ