小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1652 坂の街首里にて(2) 自然の力・アカギの大木を見る

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 前回のブログに書いた通り、首里地区は太平洋戦争の沖縄戦で米軍の激しい攻撃に遭い、がれきと化した。首里城周辺にあったアカギという樹木も例外でなかった。しかし、現在、内金城嶽(うちかなぐすくうたき)境内には6本の大木が残っている。戦火を免れた大木の存在に、人は強い生命力を感じるはずだ。  

 滞在している家から歩いて10分足らずのところに、「アカギの大木」と記された首里の名所の一つがあった。大木と聞いて人はどんな樹木を連想するだろう。大木で知られる樹木はクスノキが多く、鹿児島県蒲生町で日本一といわれる樹高30メートルのクスノキを見たことがあるが、アカギという木の種類をこれまで知らなかった。この木は東南アジア原産で、コミカンソウ科(旧トウダイグサ科)の常緑広葉樹である。沖縄や小笠原では栽培されていた時期があり、その後自生したという。木の肌が赤く、家具に使われるというが、これを使った家具を私は見たことはない。  

 ところで、首里城周辺にあったアカギの大木は戦争によってほとんど燃えてしまったという。だが、内金城嶽境内の6本のアカギは焼かれることなく生き残った。樹齢200年以上で樹高は約20メートル程度だ。この6本は沖縄の復興のシンボルともいわれ、一角は不思議な雰囲気を保っている。この木の強い生命力は失意の沖縄の人々の心の支えになったはずだ。首里にはパワースポットといわれる場所が何カ所かある。ここもその一つだという。人は心に憂いを感じる時もあれば、その逆に心弾む時もある。そうした思い悩むことがある時は、大木の下にたたずみ、大木との心の対話を試みるのがいいかもしれない。難しい質問でも必ず答えてくれると、私は信じたい。  

 ここで書くまでもなく、沖縄は太平洋戦争末期、国内では唯一地上戦が展開され、9万4000人の民間人が犠牲になった(地上戦での両軍の戦没者は約20万人。うち日本側の死者・行方不明者は18万8136人、沖縄県外出身の正規兵6万5908人、沖縄出身者12万2228人、うち9万4000人が民間人=沖縄県生活福祉部援護課1976年3月発表)。沖縄戦が終わったのは1945年6月23日だが、当時を知る人によると、梅雨の最中で、大雨が降っていたという。一方、最近の梅雨明けは6月20日ごろであり、気候も変動しているようだ。  

 坂の街、首里を歩いていると、スポーツジムでマシンを使って運動をしている以上に足腰を鍛えることができていると感じる。私にとって首里は心を癒し、体を鍛えるリハビリの街なのである。(続く)

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 577 日本一の巨木を見る 樹高30メートルのクスノキ