小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1660 旅行記を読む楽しみ 知人の四川高地行

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 旅行記といえば、どんな本を思い浮かべるだろう。イザベラ・バード日本紀行』(あるいは『日本奥地紀行』)、沢木耕太郎深夜特急』、司馬遼太郎『街道を行く』、ジュール・ヴェルヌ『80日間世界一周』(小説)あたりか。最近、中国・四川省を旅した知人から、旅行記が送られてきた。知人らしく中国の現状分析もあって、格調ある記録だ。コーヒーを飲みながら旅行記を読み、知人の歩いた中国を想像した。  

 私は以前、中国の世界遺産四川省の青い水で知られる九寨溝に行く計画を立てたことがある。2005年のことだ。だが、2001年に首相になった小泉純一郎氏が靖国神社を参拝して以降、日中関係が冷え込み、2005年になって反日活動家が破壊行為を行うなど、中国各地で反日を掲げた暴動が頻発したことで計画を取りやめた。(この以前にも旅行を計画し、費用を払い込んだあと、仕事の都合で行けなくなったこともあった)中国ヘはこの後、2008年、2012年、2016年の3回行っているが、大地震(2008年5月12日)が起きたこともあって、四川方面に行くことはあきらめた。  

 知人は今回、友人とふたりで総勢14人のツアーに参加し、四川省の5つの世界遺産のうち九寨溝を除く4つ(峨眉山と楽山大仏臥龍中華大熊猫基地=パンダ研究の地区、黄龍、都江堰)を1週間の日程で回ったという。いずれ3000メートルを超える高地にあり、酒は厳禁(ペルーの高地で酒を飲み苦しんだ体験は忘れられない)だ。山に慣れた知人だから惹かれたコースであり、私には無理としか思えない。  

 4つとも世界遺産だから興味があるのだが、この中で特に、世界最大・最長という楽山大仏が気になった。旅行記によれば、楽山市は付近の山から採れる「塩」で栄えた3本の川の合流点の町で、昔から洪水に悩まされていた。そのため、海通という僧侶が川を鎮めるため大仏建立を始め、その後民衆の浄財や塩業者からの寄付を受け90年の歳月をかけて803年に大仏が完成した。現地を見た知人は「大仏は奈良の大仏の5倍の71メートルあり、かつては建物で覆われていたが、今は風雨にさらされている。やがて崩落するであろう。なお、大仏のご利益で洪水が起こらなくなったが、これは山を削った土砂で川の流れを変えたそうだからである」と、さらりと書いている。  

 繰り返すが、今年は四川大地震から10年になる。新聞は「震源地は愛国主義の教育基地になっていて、被害拡大の責任を追及する遺族の動きは厳しく封じられたままだ」(5・14朝日国際面)と報じている。震源地の汶川(日本語:ぶんせい、中国語:ウェンチュアン)県は観光地に一変し、少数民族の別荘風の住宅が立ち並び、乗馬もできるそうだ。  知人も四川の現地を見て「汶川に沿っての道路は落石の防護柵やネットが設置され、その施設に岩が引っかかっているのをたくさん見た」「急いでの復旧よりインフラ強化の視点で道路を作った感がある」「観光客が戻ることを重点に道路を開通させている」などと、記している。地元の復旧よりも観光を優先する中国当局の姿勢が浮かび上がる。  

 四川大地震マグニチュードは7.9~8.0だった。東日本大震災の9.0を下回っているが、犠牲者数は死者不明8万7401人(中国の公式発表だから、もっと多いことはずだ)と3倍近い。倒壊した建物の下敷きになった人たちが多く、「おから(豆腐殻)工事」の犠牲になったという報道があったことを記憶している。役人への賄賂を渡した悪質な業者が手抜き工事を見逃してもらったことを言うのだそうだ。人災といっていい、四川大地震の教訓は中国で生かされているのだろうか。  

 旅の終わりに、四川料理店でビールを飲んで酔ってしまったという記述がある。数多くの旅をしている知人にとっても、今回は得難い体験だったのではないだろうかと思われる。

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写真1、楽山大仏 2、高地で使った酸素ボンベ 3、美しい黄龍の風景(いずれも菅諄郎氏撮影) 4、千葉鋸山の大仏(日本最大だが、楽山大仏の半分以下)5、同じ鋸山の百尺観音。記事とは関係ありません。