小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1650 人を動かす言葉 鉄人衣笠さんと政治家

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 2215試合というプロ野球の連続試合出場記録を持ち、国民栄誉賞を受賞した元広島カープ衣笠祥雄さんが亡くなった。71歳だった。「鉄人」といわれた衣笠さんは17シーズン、全試合に出続けた。長い年月だ。その間、欠場の危機を乗り越えたのは優れた体力だけでなく、強い気力があったからなのだろう。そんな衣笠さんが病魔に勝てなかったのは残念でならない。  

 衣笠さんにもピンチがあったという。1つは巨人の投手、西本聖から死球を受け、左肩甲骨骨折というけがをした時(1979年8月1日)だ。だが、翌日の試合には肩にテーピングをして出場したのだから、尋常ではない、頑健な体を持っていたのだろう。京都に住む母親が亡くなった時も、欠場の瀬戸際だったという。  

 当時、広島カープは大分の遠征試合があり、衣笠さんは前夜のゲームが終わったあと、車と列車を乗り継いで京都に駆け付け葬儀に出た。そして、再び大分に戻り、一睡もせずにその夜のナイターに出たのだ。衣笠さんは当時を振り返り「もし僕がゲームを休んでも、母は決して喜ばなかったと思う。こうしてプレーする姿を見せるのが、最も親孝行になると思っている」(戸部良也プロ野球英雄伝説講談社学術文庫)と語ったそうだ。  

 スポーツをテーマにしたノンフィクションの名著といわれる山際淳司の『スローカーブを、もう一球』(角川文庫)にも衣笠さんが少しだけ登場する。この本には、野球伝説の一つにもなっている江夏豊の1979年11月4日の日本シリーズ広島―近鉄第7戦の姿を描いた「江夏の21球」が盛り込まれている。  

 江夏は広島の抑えの切り札であり、この日は7回からマウンドに上がり、投げ続けた。9回裏、4-3と広島がリードしていて、このまま抑えれば日本一になるが、江夏は1、3塁のピンチを迎える。古葉監督の指示で2人の投手(北別府学池谷公二郎)がブルペンで投球練習を始める。これを見た江夏はプライドを傷つけられたのか、次の打者に四球を与え、無死満塁という絶体絶命の場面を招いてしまった。その時、一塁を守っていた衣笠さんが江夏に歩み寄って言葉を掛けたのだ。

「オレもお前と同じ気持ちだ。ベンチやブルペンのことなんて気にするな」(元朝日新聞編集委員・西村欣也氏による、4月25日付朝日新聞朝刊の評伝では「お前がやめるなら、おれも一緒にやめてやる」と話したと書いてあった。どちらが正確かは分からない)江夏はここで打たれたら野球はやめるという気持ちだったが、衣笠さんのこの言葉で集中力が蘇り、後続を抑え広島が日本一になったことは周知の事実だ。  

 人生では危機に瀕することが少なくない。江夏にとって衣笠さんから掛けられた言葉はピンチを乗り越えるための大きな力になり、一生忘れることができない思い出なのかもしれない。このエピソードは言葉の重さを再認識させるものが。だが、報道されるニュースを見ていると、昨今の政治家の言葉は軽すぎる。問題発言~謝罪~発言撤回が続出している。人間性を問われることに恥じないのだろうかと思ってしまう政治家が少なくないのは、日本の文化が衰退しているといわれても仕方がない。

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