小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1630 続・けがとの闘い 五輪選手のスポーツ人生

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「今度のオリンピックに人生をかけた」。平昌冬季五輪男子フィギュアスケート金メダルの羽生結弦のこの言葉を聞いて、スポーツ選手のオリンピックに対する意気込みの強さを感じたのは、私だけではないだろう。羽生は、けがの回復が順調ではなく、痛み止めの薬を飲みながら試合に臨んだのだという。昨年9月に右足のけがをし、まだ完全回復には程遠い状況にある私は、羽生をはじめとしてけがとの闘いを克服した選手たちに畏敬の念を抱いた。  

 昨年11月、4回転ルッツという難しいジャンプの練習中に転倒し、右足首靱帯を損傷した羽生は、その後のNHK杯、全日本選手権を欠場、五輪の出場も危ぶまれた。しかし、その懸念を晴らして、平昌大会でソチ大会に続く金メダルを獲得した。だが羽生の右足は実は回復していなかったことが、26日放送のNHK特集や27日の外国特派員協会の会見で明らかにされた。けがをした右足首の痛みは20~30%しか回復せず、痛み止めの薬を服用して五輪に出たのだという。冒頭の言葉はその思いを凝縮したものといっていい。  

 かつて、夏のバルセロナ大会(1992年)水泳200メートル平泳ぎで14歳の若さで優勝した岩崎恭子は「いままで生きてきた中で一番幸せです」という名言を残したが、羽生の言葉も岩崎のこの言葉と重なる。あるスポーツ評論家はテレビ番組で「スポーツの中に人生がある」とコメントしていたが、確かに羽生だけでなく、それぞれの選手のスポーツ人生は物語になるようだ。

相対性理論」で知られるドイツの物理学者アルベルト・アインシュタインは「人生とは自転車のようなものだ。倒れないようにするには走らなければならない」と語っている。この言葉をどうとらえるか。人によって見解が異なるかもしれない。ただ、スポーツ選手にとってはいい成績を残し、勝つためには走り続けなければならない。羽生は次の目標として、4回転半のジャンプへ挑戦することを明言している。誰もがなし得ない困難なジャンプであり、けがとの闘いを覚悟した上での高い目標なのだろう。  

 今度の五輪には羽生以外にもけがを克服した選手、あるいはけがを抱えながら出場した選手が少なくない。スノーボード平野歩夢竹内智香、スピードスケートの高木菜那佐藤綾乃、スキー複合の渡部暁斗フィギュアスケート宮原知子らである。それぞれに苦闘があっただろう。美談とは別の物語であり、それは今後の選手生活で決して無駄にはならないはずだ。  

 オリンピックは「平和の祭典」といわれる。主催国韓国と、敵対する北朝鮮が合同チームをつくり、北はこのオリンピックを通じ、様々な融和工作をした。しかし、今後の両国関係はよく分からない。そして、中東のシリアのように、平和とは縁遠い国も少くない。多くの市民が命を奪われている国際社会の現実を忘れてはならない。これが平昌五輪をテレビ、新聞で見て読んだ私の総括だ。

1590 難を乗り切れ スポーツ選手とけがの闘い