小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1629 俳句は健康の源 金子兜太さん逝く

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「俳句は健康の源になる」と言ったのは、20日に98歳で亡くなった俳人金子兜太さんだ。太平洋戦争で海軍主計中尉として南洋のトラック島で敗戦を迎え捕虜生活を送った金子さんは、戦後日本銀行に勤めながら俳人としての道を歩んだ。当然ながら多くの死に接したに違いない。だから、平和と命の大切さを強く思い続けたのだろう。  

 金子さんは俳句入門書『俳句の作り方が面白いほどわかる本』(中経文庫)の中で、先に亡くなった奥さんのことを書いている。奥さんも俳句をやっていたが、病気で一時入院したときに俳句をやめてしまった。ただ、主治医がいい先生だったため、奥さんは生きようとする気力を取り戻し再び俳句をつくるようになった。それによって、奥さんは目に見えて血色がよくなり、病状が回復に向かったという。  

 このような奥さんの在りし日の姿を思い出しながら、金子さんは俳句について概略以下のように書いている。「日々の感情の機微が率直に表現できるから自分の思いも伝えられるし、書くことによって解放感が得られる。病気のときの慰めにもなるし、生きがいにつながる」「俳句をつくるときは日常のものを一生懸命とらえようと集中し体力、気力を養う。これが健康の基本であり、命の働きを元気づける」「私も俳句が健康を養っていると感じる。朝、目が覚めたときに庭を眺めながら俳句を考えていると、体の芯からもりもりと気力がわいてくる」これが金子さんが長寿を全うした源泉なのだろう。

 85歳になる私の長姉も俳句をやっている。時々だが、いい句ができたと言っては連絡してくる。例えば、こんな句だ。「夏の雲送電線をわしづかみ」(句会の主宰者評=野山に張り渡された送電線。広々とした夏の景である。その送電線をわしづかみするかのように荒々しく迫ってくる夏の雲。青空にまるで山の峰のようにもくもくと積乱雲が湧きたっているのである。「わしづかみ」が夏の雲の雄大さ、力強さを表現している。夏雲に圧倒される作者の姿が見えてくる。佳句である)。

 金子さん流に言えば、姉にとって俳句は健康だけでなく、生きる上での源といっても過言ではないようだ。 「生かされて生きて今あり豆の飯」「百歳まで生きよと吹くよ春の風(村越化石)。村越さんはハンセン病で療養所生活を余儀なくされる中で俳句を始めた。失明したあとも、92歳で亡くなるまで句作を続けた俳人だ。苦難の人生を歩んだ村越さんにとっても、俳句は生きる力になったに違いない。