小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1615 毎朝聴く名曲 美しい言葉とメロディー

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 朝6時半からのNHKラジオ体操は、第1と第2がある。第1の前には軽い運動、第2が始まる前には首の運動があり、それぞれに懐かしい曲のピアノ伴奏がついている。今朝の首の運動の際には「埴生の宿」が流れていた。竹山道雄の名作『ビルマの竪琴』にも出てくる美しいメロディーだ。それにしても現代ではほとんど使われない言葉である「埴生の宿」とは、どんな意味なのだろう。

 この歌は、イギリスのヘンリー・ビショップ(1786-1855)の「楽しいわが家」という曲に里見義が作詞し、明治22年(1889)年から中等唱歌として歌われた。アメリカの俳優兼劇作家、ペインによる原詩に忠実な内容といわれ、土がむき出しになった(埴生)、貧しくて粗末な家に住んでいても、宝石をちりばめた床もうらやましくはないほど自分が生まれ育った家は楽しかったという回想の歌である。

  1

 埴生の宿も わが宿

 たまのよそおい うらやまじ

 のどかなりや 春の空

 花はあるじ 鳥は友

 おお わが宿よ

 たのしとも たのもしや

  2

 ふみ読む窓も わが窓

 瑠璃の床も うらやまじ

 清らなりや 秋の夜半(よわ)

 月はあるじ 虫は友

 おお わが宿よ

 たのしとも たのもしや

  この歌のように外国の原曲でありながら、いつの間にか日本の歌のようになった名曲が少なくない。「蛍の光」と「埴生の宿」はその代表格といえるだろう。ソプラノ歌手、鮫島有美子のCD「庭の千草 イギリス民謡集」で音楽評論家の黒田恭一は「先達たちは、これら遠い異郷の歌に、なんと味わい深い素敵な日本語をつけたことであろう。一種独特の慎ましさをもったメロディーと、その美しい言葉のつらねられた歌詞とは、まるで仲のいい姉妹のように、相互の魅力を好ましくたすけあっている」と、記している。

  黒田が指摘するように、現代まで歌い継がれている名曲はその日本語が美しい。「埴生の宿」の詩もそれに当てはまる。時代は移り人々の生活環境も変化し、埴生の宿のような世界は現代日本にはない。しかし、目を外へ向けると明日の食べ物にも窮し、住む家もない人々が多数存在する。そうした人たちにとっての埴生の宿とは、何だろうと考える。

  写真は、棚田が広がる兵庫県兵庫県神崎郡市川町にて。

  1368 釣鐘草と精霊の踊り 私的音楽の聴き方