小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1609 四国からの懐かしい便り 元同僚からのミカンの贈り物

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「四国西部にあり、瀬戸内海、宇和海に面する。山がちな県で、温暖な気候を利用して、ミカン、イヨカンキウイフルーツなどの栽培がさかん。また、養殖漁業もさかんで、真珠、ハマチ、マダイは全国有数の水揚げをほこる。今治市は全国一のタオル生産地だ」    

 これは、私が愛用する『読んでみて楽しむ 日本地図帳』(学研)にある愛媛県に関する短い解説だ。そして、愛媛には「蜜柑山の中に村あり海もあり」(藤後左右)の句のような風景が広がっているだろう。これまで何度か愛媛県を訪れたことがあるが、つい先日、その愛媛県に住む、かつての同僚がミカンを送ってきた。思いがけない、うれしい贈り物だった。甘いミカンを味わいながら、元同僚の若い時代を思い出した。

 元同僚が東京を離れ、故郷の愛媛県川之江市平成の大合併により現在は四国中央市)に戻ったのは、49歳の時だった。父親が興した不織布(ふしょくふ)製造の会社の跡を継ぐためと聞いた。不織布というのはあまり耳慣れないが、「糸の形態を経ずに、繊維シート(ウェブ)を機械的・化学的・熱的に処理し、接着材や繊維自身の融着力で接合して作る布。裏地・壁材・医療用など」(広辞苑)のことである。たとえば元同僚の会社のホームページによると、コーヒーフィルター、お茶パック、布巾など私たちが日常使っているものに幅広く使われ、用途は生活・医療・食品・衛生・農業・自動車関係まで及んでいるという。  

 ミカンに同封された手紙には「長らくご無沙汰を致し、失礼をお詫び申し上げます。月日が経つのは本当に早いもので、小生会社を退社してちょうど満20年となりました。お陰様で元気に、四国で中小企業の経営にあたっております。(中略)あと5年は精を出して見るつもりです」と記されていた。四国中央市愛媛県の東端にあり、かつて「宇摩」といわれたこの地域は製紙業が盛んで、元会長による不祥事が話題になった大王製紙の本社も四国中央市にある。  

 元同僚がどんな経営者なのかは想像もつかないが、若い時は明るく積極的な仕事ぶりだった。会社のホームページには、社員の一人がなぜ入社したかという問いに「入社を決めた一番の理由は、会社訪問の時に感じた事務所や社員の皆さんの雰囲気の良さだったと思う。会社の説明も社長自らが前面に出てお話ししてくださる機会が何度もあり、同規模のいろいろな会社を訪問した中にそんな会社はなく、それも魅力に感じたポイントです」と答えていることを見ても、以前の姿を彷彿とさせるのだ。喜怒哀楽、さまざまな局面を経て今日があるはずだ。平凡な人生を歩んでいる私には及びもつかないことがあったかもしれない。  

 送られてきたミカンは、四国中央市とは反対側の愛媛県南西部にある西予市の農園が生産している「減る農薬ミカン」だった。同封されていた短い説明文には「今年も除草剤を一切使用せず、人にやさしいミカンをつくりました。自然のままに、大きいもの・小さいのを取りませて入れています」とあった。以前、しまなみ海道尾道から大三島に行った際に出会った老人のことを思い出した。その内容は下段のブログに書いたが、老人は私にミカン畑の下草刈りの大変さを嘆いていた。畑に蔓延した雑草の退治は労力が必要だ。だが、この農園は除草剤を使わずに頑張っているのだろう。  

 狂言師野村萬斎の祖父で詩人の阪本越郎(1906~1969)は「みかん」という短い詩を書いている。  

 冬の夜には明るい燈のしたに集まり   みんな手にみかんをもっている。  

 幼いものがむけないといえば、  兄は強い指でむきほぐしてやる。  

 歯にしむほどつめたい 新しい液の袋が   みんなのくちびるをぬらし、  

    団欒の 燈のしたで  花のようにみえている。

 

 この詩のように、歳時記にも「炬燵の団欒風景を思わせる日本の代表的な果物」と記されており、ミカンは多くの日本人に愛されているのだ。我が家も四国のミカンを味と人生の妙を味わいながら、ひと時の団欒の時間を持ったことは言うまでもない。  

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