小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1510 マラソン選手の命がけの抗議 スポーツの政治利用とは

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 リオ五輪の男子マラソンで銀メダルを獲得したエチオピアのフェイサ・リレサ選手(26)が額の前で両手を交差させるポーズでゴールインし、圧政を続けるエチオピア政府への抗議だと表明した。帰国すれば殺さるかもしれないという「命がけ」の抗議だった。

 リレサ選手のこんな行為があったあと、閉会式で安倍首相がアニメのキャラクター、マリオになって登場したのを見て違和感を持った。 リレサ選手に対して、世界中から支援の資金がネットのサイトを通じて集まっているという。

 新聞報道によれば、リレサ選手はエチオピアのオロミア州出身で、同州とアムハラ州などで政府の土地収用を巡って激しい抗議行動が起きている。それに対し治安部隊が出動し、8月初めには90人以上が殺害されている。ゴールの際の両手を交差したポーズは、その抗議だったというのである。

 何という意思の強さだろう。 リレサ選手の行動を「スポーツの政治利用だ」と批判する声もあるという。ならば、安倍首相の登場も五輪を政治に利用したとしか思えない。

 リレサ選手で思い出すのは、メキシコ五輪(1968年)の陸上競技男子200メートルの表彰式のことだ。優勝したトミー・スミス(米国)と銅メダルのジョン・カーロスは表彰台で銀メダルのピーター・ノーマン(オーストラリア)の黒い手袋を借り、米国国歌が演奏され、星条旗が掲揚されている間2人は頭を下げながらスミスが右手をカーロスが左手のこぶしを挙げたのだ。

 当時続いていたアメリカの黒人差別に対する抗議のための示威行動だった。2人は当時のIOC会長、のアベリー・ブランデージによって五輪から追放されたが、公民権運動を続けたことはよく知られ、2人の行動は「ブラックパワー・サリュート」と呼ばれている。

 一方、2人の行為に同調したノーマンは、帰国後批判の嵐にさらされ、次のミュンヘン五輪の国内予選で好成績を残しながら代表に選ばれず、2006年10月不遇の生涯を閉じている。 今回のリオ五輪には、シリアなどから難民になった選手たちが「難民選手団」として参加した。リレサ選手や難民選手団の姿を見ていると、世界の平和が遠いことを実感せざるを得ないのだ。