小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1509  ジャーナリズムの役割とは むのたけじさんのこと

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《ジャーナリズムとは何か。ジャーナリズムの「ジャーナル」とは、日記とか航海日誌とか商人の当座帳とか、毎日起こることを書くことです。それをずっと続けていくのが新聞。それは何のためかというと、理由は簡単で、いいことは増やす、悪いことは二度と起こらないようにする。ただ、それだけのことです。ところが、最近のジャーナリズムはそこが抜けてしまっている。新聞も「商品」になってしまいました。だから、ニュースではなくてトピックスになっている。いまのジャーナリズムは、いわばトピックスのつまみ食いにすぎない。》(岩波新書・『戦争絶滅へ、人間復活へ』より)

 現代のジャーナリズムの姿について、このように厳しい批判をしたのは21日に101歳で亡くなったジャーナリスト、むのたけじさん(本名・武野武治)である。言葉を言い換えれば「社会悪と戦う姿勢に欠けている」ということだろうか。

 むのさんが勤務先の朝日新聞を1945年(昭和20)8月15日にやめたエピソードはよく知られている。この本にも、そのいきさつが書かれている。「(戦争に)勝った、勝ったとうそばかり書いていたのだから、ここできちんとけじめをつけるべきだ。間違ったことをしてきたんだから、全員が辞めるべきではないか」と。 むのさんは後に、朝日をやめるべきではなかったという心境になったという。

 それは沖縄の地元紙、琉球新報が2004年7月から05年9月まで14回にわたって連載した沖縄戦争の実相に迫ろうとする企画『沖縄戦新聞』を読んだことが契機だった。「(この企画のように)本当の戦争の姿はこうだった」ということを報道すべきだったのに、それをやらずに朝日をやめてしまったことに忸怩たる思いになったのだ。

 以前、むのさんに話を聞いたことがある。朝日新聞記者をやめたあと、郷里の秋田県横手市に帰り、1948年に週刊新聞『たいまつ』を創刊し、1978年の休刊後もジャーナリストとしてペンを持ち続けた。秋田なまりがユーモアを感じさせるが、その話の中身は激しく厳しいものだった。それは冒頭のジャーナリズム批判でも明らかである。

 昨今の新聞やテレビからは権力批判の姿勢は見えず、自主規制が目立つ。むのさんは無念に違いない。 むのさんは、岩波新書のあとがきで「さて、私は平均より長く生きてきたので、死がそれだけ近くなっている。でも、悲しくも怖くもない。だって、地上の万物のどれもごらん。終えた所から新しく始めているではないか。死は終末でも消滅でもない。別離でもない。死は生の完結であって、新しい自由の獲得だ。だから、私は、にこにこ笑いながら絶息したい。火葬場でコツになる直前まで、その笑顔を保ち続けたい」と書いている。

 ジャーナリズムの現状に憂いながらも、新しい自由の獲得という晴れ晴れとした思いで旅立ったのかもしれない。

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