小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1506 野球界の光と影 イチローの3000本とAロッドの引退

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 8日(現地時間7日)大リーグ、マーリンズイチローが3000本安打を達成した。一方、3000本安打を打っているヤンキースアレックス・ロドリゲスが引退を表明した。2人は対照的な打者だった。

「細くて小さなプレーヤーが、巧みなバットコントロール安打製造機となり、塁に出れば走りまくる、またライトの守備では、しばしば美技を見せるうえに、矢のような送球で走者を刺したり、釘付けにする」(戸部良也プロ野球英雄伝説講談社学術文庫イチローに対し、豪快なホームランバッターで巨額の移籍金や薬物使用で出場停止が話題にもなったAロッド。たまたま同じ日の2人の大打者に関するニュースは、野球界の光と影を見る思いを抱かせた。

 かつて「メジャーリーグは異次元の領域にあり、徹底した肉体改造なしではたどりつけない神話的は彼岸」(内田隆三『ベスボールの夢』岩波新書)と考えられた。だが、村上雅則ジャイアンツ、1964~65)以来途絶えていた日本人の大リーガーとして、近鉄野茂英雄が1995年にドジャースに所属し大活躍すると、異次元の領域に挑戦する選手が続出した。イチローもその一人であり、大リーグで傑出した働きをした日本人選手としては野茂とイチローを挙げることができる。中でもイチローはひときわ輝いている。

 イチローの野球選手としての歩みが様々な本や雑誌に書かれている。中でも日本のオリックス時代に仰木彬監督との出会いが大打者として開花したことに、人間の運命のようなものを感じるのだ。入団当時の土井正三監督はかつて巨人のV9に寄与した名2塁手だった。土井はイチローのことをパワー不足とみて、一軍では代走要員程度にしか扱わなかった。

 だが、入団3年目の1994年に監督が土井から仰木に交代すると、仰木はイチローの才能を見抜き、一軍でレギュラーとして使い出す。その結果、この年イチローは夢の200安打を上回る210安打を記録し、打率も3割8分5厘という高打率で首位打者になる。 「もし、オリックスの監督が選手の感性を大切にする仰木彬になっていなかったら、この野球サイボーグのような男が、今日のように開花していたかどうか。土井正三監督のときには、一軍入りしても、ほとんどが代走か守備要員としての起用でしかなかったのをみてもわかる」(前掲、戸部書)。

 仰木にはイチローの素質のすごさを感じたのかもしれない。それに対し土井はイチローの長所を見抜くことができなかった。指導者としての力量の違いといえばそれまでだが、同じようなことは企業や組織でもよくあることだ。 イチローの本名は鈴木一朗だ。祖父が自分の名前(銀一)の一の字を生まれてきた3人の男の孫につけ、次男は「一朗」になった。仰木はありふれている鈴木よりも、カタカナのイチローの方が目立つのではないかとこの登録名を思いついたのだという。この発想の豊かさがイチローの活躍につながったのだから、人間の出会いの妙を感じるのである。

 3000本安打のあと、ベンチに戻ったイチローはサングラスの奥から涙を流した。大記録は時間の問題と言われながら、なかなか達成できなかった呪縛から解放された喜びの涙だったのだろう。