小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1422 芸術は歴史そのもの 絵画と映画と

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 12月になった。季節は冬。人生でいえば長い歴史を歩んできた高齢者の季節である。最近、歴史を考える機会が増えた。それは絵画であり、映画だった。まず、絵画展。「村上隆の五百羅漢図展」(六本木ヒルズ森美術館)、DIC川村美術館(千葉県佐倉市)の「絵の住処―作品が暮らす11の部屋」の2つ。そして映画は「黄金のアデーレ 名画の帰還」と「ミケランジェロプロジェクト」の2本。いずれも人間の歴史と深いかかわりを持っていた。

 手元にある『仏像の世界』(田中義恭著、日本文芸社)という本によると、「羅漢は『阿羅漢』の略で、仏教の修行を達成し、悟りの境地に達した者のことを指す。十代弟子を含め、釈迦如来の高位の弟子たちは、みな羅漢なのである」という。 十六羅漢、十八羅漢だけでなく五百羅漢もあるのだから、釈迦の弟子は少なくなかったといえようか。

 そんな羅漢の姿を村上は、巨大な壁画として全国の200人を超える美大生を動員して完成させた。11月30日に亡くなった漫画家・水木しげるの漫画に登場するようなユーモラスな顔をした羅漢たちはどれも見ていてあきない。村上は東京藝大で日本画研究で初めて博士号を取得した。それがこの作品に凝縮されたのかもしれない。

 川村美術館は、かつての川村インキ(現在のDIC)の創業者川村喜十郎らが3代にわたって収集した美術品(主に絵画)を公開している。現在公開中の「絵の住処」は、「ヨーロッパ近代絵画の部屋」や「レンブラント・ファン・レインの部屋」、「日本画の部屋」「前衛美術の部屋」など美術館の内部を11に分け、それぞれの部屋に合う絵画・前衛作品を展示したものだ。

 入館者によって、どの部屋に一番時間を要するかは分からない。私は「レンブラント・ファン・レインの部屋」だった。そこには「広つば帽を被った男」(1635)があった。私はレンブラントと目を合わせた。レンブラントが何かを訴えているようだったが、分からない。

 映画は2作とも第二次世界大戦にまつわるもので、ナチスドイツが関係する。ナチスに奪われたグスタフ・クリムトの「黄金のアデーレ」は、ナチス支配下オーストリア国立美術館に収蔵された。映画はこの絵を取り戻した絵のモデルのアデーレの姪と弁護士の苦闘を描いている。その結果はよく知られているので、ここでは書かない。

ミケランジェロプロジェクト」は、同じ第二次大戦中、ナチに奪われそうになるヨーロッパの絵画を守る7人の米国人美術専門家の姿を描いた。絵を描いたのもそれを奪おうとするのも人間だ。ナチによる絵画収奪は、組織的にやっただけで現代でも続いている絵画ドロボーと変わりない。 歴史とは「人類社会の過去における変遷・興亡のありさま。また、その記録」「物事の現在に至る来歴」(広辞苑)だという。まさに、芸術は歴史そのものだと思う。

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写真 1~3、村上隆の五百羅漢図絵展(この美術展はカメラでの撮影が許されている) 4、川村美術館の広大な敷地に咲いた季節外れの桜 5、私の散歩コースにある池に映った紅葉 6、これが3の写真の普通の姿