小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1373 みるく世がやゆら(今は平和でしょうか) 沖縄慰霊の日に思う

画像

 23日は沖縄にとって特別な日だった。おびただしい犠牲を伴った太平洋戦争・沖縄戦終結したのが70年前のこの日であり、糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園で沖縄の全戦没者を追悼する「慰霊の日」の追悼式典が行われ、安倍首相も式典に出席し、あいさつした。

  そのあいさつに対し、「帰れ!帰れ!」「嘘言うな!」「何しにきたんだ」と激しいヤジが飛んだという。これに対し、首相擁護派の新聞である産経新聞は、沖縄特集記事の中で匿名(なぜ?)の男性の2人を登場させ、ヤジる行為を批判していた。

  こうした慰霊の日の式典で、首相のあいさつに対し、罵声が飛ぶこと自体異例である。それほど沖縄の人々の思いと政府の「米軍普天間基地辺野古移設が唯一の解決策」という方針がかけ離れていることの証左ではないだろうか。

  沖縄に住む友人がフェースブックにこんなことを書いている。

 《慰霊の日。私の住む集落でも慰霊祭が行われた。何人もの人が挨拶に立ったが遺族代表の宮里さんの挨拶が心に残った。

 「宮里さんは戦争中、鉄血勤皇隊(戦闘に動員された17歳以下の少年兵部隊)におられました。その当時のお話もなさるかもしれません」宮里さんは区長さんからそう紹介された。私は、宮里さんがお話しなさる貴重な体験談を一言一句聞き漏らさないようにと注意を傾けた。宮里さんは杖をつき、娘さんに支えられながらやっとのことでマイクまでの数歩を歩いた。

 「みなさん、こんにちは。年をとると身体がいうことをきかなくなってね、大変です。みなさん、健康が大切ですよ。身体に気をつけて、これからも毎年慰霊の日にはここに集まってください。お願いします。以上です」

  鉄血勤皇隊の話も、戦争の話も彼は一言も話さなかった。それなのに、私の胸はたった今、痛ましい戦争のエピソードを聞いたかのようにギュッと痛んだ。「沖縄戦では、みなさんが想像している通り生き地獄を体験しましたよ」

 

心地よく丘を渡っていく風に乗って、宮里さんの無音の声が聞こえたような気がした。「だけどね、それでも私は幸運でした。少なくとも生き延びることはできたんですから」

  たぶんこの声は、私の想像の産物なんだ。私は自分にそう言い聞かせた。だけど声はおかまいなしに語り続けた。

 「ここに建つ慰霊の塔に祀られた方々は今日ここでお話ししたいことがたくさんあったことでしょう。けれど彼らの言葉は、彼らの命と一緒に死によって奪われてしまった。私の言葉より、彼らの言葉を聞いてください。聞こえる言葉よりも聞こえない言葉の方が雄弁であることもあるのです」

  もっともっと耳を澄まそう。心にそう誓った今年の慰霊の日》

  私はこれに対し、短いコメントを書いた。「罵声が飛んだ首相とは違って、重いですね」

  それに対する友人のコメント。

  厳粛な慰霊祭の場で罵声が飛び、平和宣言を読み終えた知事に首相一行は拍手すらしない。溝は深まり、憎しみもどんどん募っていく。まことに悲しい事態です。しかし式典で高校生が朗読した詩に、一縷の光を感じました。「六月二十三日の世界に私は問う みるく世がやゆら(今は平和でしょうか) 戦争の恐ろしさを知らぬ私に 私は問う」

  この高校生に、私たち大人はどう答えたらいいのだろう。

 

  与勝高校3年 知念捷さんの詩「みるく世(ゆ)がやゆら」全文

 みるく世(ゆ)がやゆら

平和を願った 古(いにしえ)の琉球人が詠んだ琉歌(りゅうか)が 私へ訴える

「戦世(いくさゆ)や済(し)まち みるく世ややがて 嘆(なじ)くなよ臣下 命(ぬち)ど宝」

七〇年前のあの日と同じように

今年もまたせみの鳴き声が梅雨の終(おわ)りを告げる

七〇年目の慰霊の日

大地の恵みを受け 大きく育ったクワディーサーの木々の間を

夏至南風(かーちーべー)の 湿った潮風が吹き抜ける

せみの声は微(かす)かに 風の中へと消えてゆく

クワディーサーの木々に触れ せみの声に耳を澄ます

 

みるく世がやゆら

「今は平和でしょうか」と 私は風に問う

花を愛し 踊りを愛し 私を孫のように愛してくれた 祖父の姉

戦後七〇年 再婚をせず戦争未亡人として生き抜いた 祖父の姉

九十才を超え 彼女の体は折れ曲がり ベッドへと横臥(おうが)する

一九四五年 沖縄戦 彼女は愛する夫を失った

一人 妻と乳飲み子を残し 二十二才の若い死

南部の戦跡へと 礎へと

夫の足跡を 夫のぬくもりを 求め探しまわった

彼女のもとには 戦死を報(しら)せる紙一枚

亀甲墓に納められた骨壺(こつつぼ)には 彼女が拾った小さな石

戦後七〇年を前にして 彼女は認知症を患った

愛する夫のことを 若い夫婦の幸せを奪った あの戦争を

すべての記憶が 漆黒の闇へと消えゆくのを前にして 彼女は歌う

愛する夫と戦争の記憶を呼び止めるかのように

あなたが笑ってお戻りになられることをお待ちしていますと

軍人節の歌に込め 何十回 何百回と

次第に途切れ途切れになる 彼女の歌声

無慈悲にも自然の摂理は 彼女の記憶を風の中へと消してゆく

七〇年の時を経て 彼女の哀(かな)しみが 刻まれた頬(ほお)を涙がつたう

蒼天(そうてん)に飛び立つ鳩(はと)を 平和の象徴というのなら

彼女が戦争の惨めさと 戦争の風化の現状を 私へ物語る

 

みるく世がやゆら

彼女の夫の名が 二十四万もの犠牲者の名が

刻まれた礎に 私は問う

 

みるく世がやゆら

頭上を飛び交う戦闘機 クワディーサーの葉のたゆたい

六月二十三日の世界に 私は問う

 

みるく世がやゆら

戦争の恐ろしさを知らぬ私に 私は問う

気が重い 一層 戦争のことは風に流してしまいたい

しかし忘れてはならぬ 彼女の記憶を 戦争の惨めさを

伝えねばならぬ 彼女の哀しさを 平和の尊さを

 

みるく世がやゆら

せみよ 大きく鳴け 思うがままに

クワディーサーよ 大きく育て 燦燦(さんさん)と注ぐ光を浴びて

古のあの琉歌(うた)よ 時を超え今 世界中を駆け巡れ

今が平和で これからも平和であり続けるために

 

みるく世がやゆら

潮風に吹かれ 私は彼女の記憶を心に留める

みるく世の素晴らしさを 未来へと繋(つな)ぐ

  写真は散歩道に咲いたネムノキの花