小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1322 冬本番、春を待つ心 東山魁夷展にて

画像 東京・恵比寿の山種美術館で開催中の「東山魁夷と日本の四季」という特別展をのぞいた。東山魁夷(1908~1999)が亡くなってことしで15年になる。

 以前、東山魁夷の絵は東京世田谷にある長谷川町子美術館と竹橋の東京国立近代美術館で見ているが、何回見ても気持ちが落ち着く。来館者の多くは同じ思いでやってきたのかもしれない。

 長谷川町子美術館所蔵の「春を呼ぶ丘」も展示されていた。1972年(昭和47)に北海道の大地をイメージして制作された畑の中を白い裸馬が1頭歩いている作品には「丘の上に並ぶからまつ。僅かに芽吹く雑木林。黒々とした耕土に、鮮やかな麦の緑。蕭条(しゃくじょう)とした冬の山野が、春の声に呼び覚される時、大地の鼓動が聴こえる」という説明があった。

 本格的な冬がやってきた。春が待ち遠しいと思うのは、気がはやすぎるか。 それはさておき、今回の展示の中には東山魁夷のほか、著名な日本画家の絵も含まれている。その中で、橋本明治の「朝陽桜」(1970年作)という一枚が気になった。

 1968年に建てられた皇居宮殿には、東山魁夷ら当時の日本画壇の最高峰にたつ画家たちの作品が飾られたが、山種美術館が同趣作品の制作を依頼、所蔵しており、それらが5年ぶりに公開され、橋本作品も含まれていた。

 橋本は、1970年10月に同館で開催された『日本の四季』展図録に、この作品について、以下のように(概略・原文はですます調)記している。 ここに完成した桜の図は、新宮殿と同じく福島県三春町で写生した滝桜をもとに構図した。

 三春の滝桜といわれるこの名木は、枝垂れ桜の花がさがって滝のように見えるからかと思ったが、これは滝という部落にあるからだそうだ。650年の樹齢を数え、天然記念物に指定されている。写生の際、初めに何度か雪中の冬姿で骨格を写し、数カ月後、再び満開の花の姿を写生に通ったが、根回り11メートルにも及ぶという巨樹から地上に垂下する、べにしだれの見事さは、実に圧倒される思いだった。

 (中略)朝陽に映える桜のイメージを、金砂子によって表現を助け、題は“朝陽桜”と付けた。 全国の巨樹を回り、その姿を写真に収めた八木下弘はその著書『巨樹』(講談社現代新書、1985年版)の中で、滝桜の撮影行を始めたのは岐阜の根尾谷(岐阜県本巣市)の淡墨ザクラを撮影したとき、声をかけてきた老女から、私の郷里の福島にも立派な桜があると教えられたからだと記し、3年越しにようやく天候に恵まれ中、撮影に成功。「その優美壮麗な様は、老女の言のごとく日本一と称して過言ではあるまい」と記した。

 三春の滝桜が有名になったのは1990年(平成2)に、「新日本名木100選」の名木ベスト10に選ばれたあたりからだろうか。橋本が写生に通っていたころは、今ほどではなかったのだろう。

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写真 1、美術展のパンフ 下の絵が「春を呼ぶ丘」 2、同、上右側が「朝陽桜」

サザエさんの美術館 世田谷の桜新町を歩く

東山魁夷の世界との出会い