小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1308 報道写真家が入れない領域  混迷度増す現代社会

画像 日本百名山の一つ、御嶽山が9月27日に噴火して戦後最悪の死者を出した。あれから間もなく3週間になるが、きょう16日で、行方不明者の捜索活動は打ち切られた。山はもう冬なのである。

 御嶽の噴火では登山者によって多くの写真が撮影された。ほとんどが身の危険を忘れて、カメラや携帯端末を構えたのだろう。中にはプロの写真家もいたというが、どんな思いでシャッターを切ったのだろう。

 写真は時代を写す鏡ともいえる。米国を代表する世界的通信社、APの「ブレーキングニュース 報道の歴史」という本をめくっていたら、ベトナム戦争でよく知られた写真の撮影にまつわる話が目についた。AP通信のベトナム人カメラマン、ニック・ウトによる「戦火に追われて」という写真である。

 国道1号で米軍のナパーム弾で燃え出した衣服を脱ぎ捨て裸で逃げ惑う少女を撮影した写真について、APの本にはこう書いてある。

≪1972年6月、ニック・ウトと他の記者たちは、共産軍がハイウェイ1号線(国道1号)の主要交差点近くにある村 を占拠した後、サイゴンから35マイル(56・35キロ)西のトランバンに集まった。南ベトナム空軍の戦闘爆撃機はナパーム弾攻撃を開始したが、破壊力の大きな爆弾は標的を外し、友軍や市民を巻き添えにしていた。

 ウトは空襲の様子を離れた場所から写真(戦火に追われて)に撮り、そして負傷して彼がいた方向に避難して来る村人たちを撮った。炎から逃れるために燃え上がる衣服を脱ぎ捨て、裸になった少女が彼に真っ直ぐ向かって走ってきた。彼はその写真を撮り、そして彼女と彼女の父親を近くのクチにある病院に連れて行った。その少女、キム・フックは助かり、戦闘取材中に殉職したフイン・タン・ミAPカメラマンを実兄に持つウトの終生の友となった≫

 この写真でピューリッツァー賞を受賞したウトはベトナム戦争後、アメリカ国籍を取得し、一方、キムは反戦活動家の道を進み、戦争地域の子どもたちを支援する「キム財団 」を設立し、子どもたちの支援活動を続けている。2人は、APの記録にあるように、終生の友になった。

 ベトナム戦争ではウトら多くのカメラマンによって、戦争の非情さ、悲惨さを伝える写真が撮影され、世界中の人々の目に触れた。いま、世界では依然として内戦や紛争が続いている。中でも「イスラム国」というイスラム過激派の中東での動きは活発だ。

 だが、写真ではほとんど伝えられていない。報道写真家たちでさえ立ち入れない、空間・領域なのだろうか。不気味な動きであり、現代社会が混迷度を増していることを示しているように思えてならない。。 (写真は記事とは関係ありません)