小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1313 蘇ったグレース・ケリー 映画「公妃の切り札」

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  国の面積が約197ヘクタールとヴァチカン市国に次いで世界で2番目に小さな国が地中海に面したモナコである。人口は3万6千人余とミニ国家だが、金持ちが住む国としても知られ、日本人では元サッカー選手の中田英寿やテニスのクルム伊達らも居住権を持っているという。  

 モナコの大公レニエ2世とハリウッドの人気スターだったグレース・ケリーが結婚したのは59年前の1955年のことだ。結婚後のグレース・ケリーに何があったのかをフィクションとして描いたのが、映画「グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札」である。ニコール・キッドマンによってグレースが蘇ったような、そんな感覚を抱かせる映画である。  

 映画は事実とフィクションを織り交ぜながら、大国フランスの圧力や、大公周辺の裏切りによって危機に陥ったモナコ救うグレースの苦悩や決断を描いている。この映画はモナコ公妃になったあと、グレースがヒチコックから映画出演の依頼を受けるシーンから始まる。その依頼に対し、グレースは思い悩むのだが、実際にもヒチコックから映画への誘いを受け、悩んだ末に断った(国民の反対が強かったというのが理由とされる)ことはよく知られている話である。  

 小国のモナコが独立を維持するためには、国境を接する大国フランスとの駆け引きがうまくなければならない。映画はそうした前提に立って、グレースがどのようにしてモナコを救うのか、サスペンス風に進行する。  

 グレースはヒチコックの誘いを断っているのだが、モナコで制作された映画にモナコ公妃役で出演している。その映画で話したセリフ「落胆することも人生の糧です。大切なのは悔やまず前に進むことです」は、グレース自身が考えたものだという。(下記のブログ参照)  グレースはこの映画撮影後の1982年9月、車を運転して南仏の別荘からモナコに帰る途中、車ががけ下に転落する事故を起こし、翌日亡くなった。車には次女のステファニー公女(当時17歳)も同乗していたが、軽傷だった。  

 グレースは当時52歳で、運転中に脳こうそくの発作を起こしたのが原因といわれている。フランスのバラの品種開発で知られる「メイヤン」は、この年、グレースのために「プリンセス・ドゥ・モナコ」(写真)という新品種を作ったが、気品があるバラだ。気品という点では、主役を演じたニコール・キッドマンは凜とした美しさが際立ち、グレースに劣らない気品を感じさせた。それがこの映画の魅力でもある。

 

 落胆するのも人生の糧 グレース・ケリーの名言