小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1304 忘れられたなつめの木 秋を彩る楕円形の果実

画像

 なつめの実青空のまま忘れらる 友岡子郷

 この句の通り、わが家の周辺にあるなつめは、毎年秋には実を付けるのだが、だれも取らないまま、忘れ去られる運命にあった。この夏は猛暑が続いたためか、なつめの実が例年以上になっている。そのままにするのは惜しいと思い、棘を気にしながら実を取ってみると、ザル一杯になった。

 なつめの利用方法を調べるといろいろあるが、簡単につくることができるのは、なつめ酒らしい。梅酒とほぼ同じ方法というので、やってみることにした。なつめはクロウメモドキ科の落葉樹で、2~3センチの楕円形の実がつく。

 秋に紅塾したものを砂糖漬けや生で食べ、乾かしたものは薬用(漢方薬)にする。岐阜県飛騨地方では果実を砂糖と醤油で甘露煮にする食べ方があり、知る人ぞ知る郷土料理だそうだ。 わが家周辺にはなつめの木が何本も植えられており、通称「なつめ街」ともいわれ、自治会の名前にもなっている。

 私が住む地区は、30年ほど前に大規模な住宅地として開発されたのだが、本来の住所とは別に、樹木の名前をつけたいくつかの街がある。なつめを私が住む地域に植えた理由はよく分からない。 ただ、昔から街路樹として植えられていたから、街づくりの際に、他の樹木とともに、私の地域に植えられたようだ。だが、地区の人にはこの木はあまり好まれていないようで、この地区を通称名で言う人もほとんどいない。

 なつめの木といえば、日露戦争終結後、乃木大将とロシアのステッセル将軍が会見した旅順の水師営の民家の庭には、弾丸の跡がついた1本のなつめの木が残っていたという。ステッセルはこのなつめにつないだ愛馬を乃木に贈ったという史実がある。ここから株分けされたものが東京の乃木邸(現在、乃木神社内)に移植され、いまも残っているそうだ。

 私の実家にもなつめの木があった。秋になると、その実を少しだけ食べた記憶があるほか、なつめの実を拾い集めて、子ども同士で投げ合う遊びにも使った。岐阜県出身で岐阜薬大教授だった俳人の長谷川双魚は「ふるさとや昨日は棗ふところに」という、なつめの思い出の句をつくった。

 私のように拾い集めて遊んだのではなく、集めた実をふところに入れ、家に持ち帰って母親に甘露煮にしてと、ねだったのかもしれない。 画像画像