小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1299 hana物語(41)最終回 つぶやき18

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「子宮の緊急手術 hanaのつぶやき」

 ことしも残すところあと5日です。そんな暮れの夜、「お父」は安倍内閣誕生のニュースにずうっと見入っていました。そして、「お父」は「日本はいい方向へ変わることができるのかなあ」とつぶやいていました。

  私は、10歳5ヵ月になりました。このところ体の調子が悪い日が続き、歩くときには足を引きずり、食欲も極端になくなりました。私の変調を心配した「お父」とママが動物病院に連れて行ってくれたのは、おととい(12月28日)の夕方でした。病院はおじいちゃん先生が引退し、若い先生が代わりにやっています。背の高い先生は検査のあと「すぐに手術をやります」と難しい顔で話していました。

  どんな検査だったか分かりますか。それは血液検査とエコーの検査というものでした。私の足から注射器で血を取った血液検査では、白血球の数値が異常に高かったそうです。先生は「どこかが出血しているようです」と家族に説明していました。

  腹の部分のエコー検査では、子宮の一部が風船のように膨れているのが見えたそうです。先生は「子宮蓄膿症に間違いありません。このままだと危険なので、今夜手術をしましょう」と家族に通告しました。

  先生は、本を持ってきてこの病気のことを詳しく説明していました。それは、だいたいこんなことだったようです。

 《犬の子宮蓄膿症は避妊手術を受けていない中高年齢期の雌がかかる病気で、大腸菌などの細菌が膣から子宮内に侵入して異常繁殖、炎症がひどくなって化膿し、子宮内に膿がたまるほど悪化する細菌感染症。手遅れになると、子宮が破裂して腹膜炎を起こしたり、敗血症になったりして死に至る》

  1週間前くらいから私の体調は悪く、いつもよりもごろごろとしていました。遊びにきた上のお姉さんの子どもは、いつものように私の背中に乗って「お馬さんパカパカ」と遊んでいました。おなかが少し痛みましたが、子どもの声を聞いていると私もうれしくなって我慢をしていましたが、お姉さんたちが帰ってしまうと、食べる元気もなくなってしまったのです。

  ところで、病院に残された私は深夜になって膿がたまった子宮を取り出す手術を受けました。麻酔が効いていて全く痛みはありませんでした。でも手術の次の日になっても食欲は湧きませんでした。心配した先生は家族に「ストレスでペットフードを食べないのかもしれないので、取りあえず、迎えにきてください」と電話をしていました。

  夕方、引き取りに来た「お父」とママを見て、うれしくなり、自分で立ち上がって車に何とか乗ることができ、わが家に帰りました。家に帰っても食欲はなく、水をがぶがぶと容器2杯を一気に飲んだら、気持ちが悪くなって吐いてしまいました。

  いつもは2階で寝ているのですが、夜はママと下のお姉さんが1階に布団を敷いて一緒に寝てくれました。私の隣には、前から預かっている上のお姉さんの家のノンちゃん(ミニチュアダックスフント、5歳の雌)が寝ています。ノンちゃんも夏に乳腺炎が見つかり、子宮を取る手術をしているので、年下でも病気に関しては先輩なのです。

  退院して一晩寝てもやはり食欲はありませんでした。ペットフードは食べたいという気持ちがなく全くだめだったのですが、心配した「お父」が手に盛ってなめさせてくれた私の好物のヨーグルトはおいしく食べましたし、バナナも少しだけ口に入れることができました。

  午前中、私たち急病の動物のために休みを返上して出てきた先生から病院で点滴を受けました。仕事熱心で、私たちを大事にしてくれるいい先生だと思いました。

 今夜は「お父」から人間の食べるご飯をおにぎり1個分くらいもらいました。少し元気が出てきたようです。今夜も私はママと下のお姉さん、それにノンちゃんと一緒に1階で寝ます。「お父」は「今夜はバーンスタイン指揮・ウィーンフィルシベリウス交響曲2番を聴くのだ」と言って寂しそうに2階に上がって行ったので、いまごろは一人でシベリウスを聴いているのでしょうか。(2012・12)

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 hanaのつぶやきは、この後第1章の「別れの時」に紹介した「私の闘病記 きょうが抜糸でした」(2013年1月16日)が最後になった。このブログについては、第1章の「金木犀とともに」で触れたaostaさんという方から、コメントが寄せられ、それに私とhanaが返事をする形で次のようなやりとりがあったことを記しておく。

  コメント hanaちゃん、ご病気と知り心配しておりましたが、順調に回復に向かっているご様子、まずは安心致しました。動物には、物言わぬからこその深い喜び、悲しみが在るのではないかと思っています。病気を通して通わせ合った気持ちは言葉で飾られることがなかった分、純粋であったのではないでしょうか。思わず私も、ボンボンとの日々を思い出しました。春はまだ先ですが、若草の頃、元気一杯にはしゃぎまわるhanaちゃんが目に見えるようですね。ご家族様も心労でお疲れのことと思います。ご自愛くださいませ。今年も皆様にとって良き年となりますように。

  私の返事 心温まるコメントありがとうございました。感謝いたします。hanaは私たち家族に、体の不調を何とか知らせようとしていたのだと思います。いま振り返ると、その兆候がありながら見過ごしていました。最近のhanaは、私たちの横で寝るのが習慣になりました。ふだん、私にはあまり甘えないのですが、だれもいないときには、すり寄ってきています。aostaさんのブログ、「ボンボンがいた日々」を読み返しました。美しい文章に泣かされました。

  コメント お返事ありがとうございます。ボンボンが逝ってもうじき半年になりますが、季節、季節ごといろいろな思い出がよみがえって、ボンボンの事が想いから遠くなることは在りません。この時期、お天気が良いと、陽射しで緩んだ雪が屋根から轟音を立てて滑り落ちるのですが、ボンボンはその音が大嫌い。雪が落ち始めると、しっぽを丸めて階段を駆け上がり、私たちの部屋に飛び込んできたものでした。普段2階には上げないのですが、しんから怖がっているボンボンを見たらそんなこと言っていられません(笑)。本当に憶病な犬でしたが、その分気はやさしくて、小さい子供たちの人気者でした。hanaちゃん、甘えっ子できて、幸せですね。

  hanaの返事 私たち犬族と人間の関係は不思議ですね。私たちは、飼ってくれる人を選ぶことができません。大多数の仲間は幸せな一生を送るのでしょうが、そうでない仲間もいるかもしれません。今度病気をして、家族が私のことを本当に大事にしていてくれたことが分かりました。それはボンボンさんも同じだったと思います。実は私も大きな音は大嫌いです。雷が鳴りだすと体が震えだし、家の中をうろうろ歩き回ります。一番落ち着くのは狭いお風呂の洗い場に入れてもらうことです。最近、雷が鳴らないので、気持ちは落ち着いています。いろいろご心配していただきありがとうございました。

  

 あとがき

  hanaのつぶやきが最後になったのは、第1章に紹介した子宮蓄膿症の抜糸の日(2013年1月)の話だった。元気になったという報告だった。だが、その間もhanaの体はがん細胞に蝕まれ、その半年後には歩くこともままならないほどに弱ってしまった。命はいつか尽きるものだが、hanaはそれからほどなくして私たち家族の前から姿を消した。

 hanaがいまも生きていたらどんな「つぶやき」をするのだろうか。それを想像するだけで、たまらない思いになる。そして「hanaに会いたい」という言葉を反芻するのである。41回にわたる『hana物語』はこれでおしまいです。さようなら、ごきげんよう。(筆者・遊歩)

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