小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1169 「天を突く皇帝ダリア空碧し」  コーヒー哲学序説

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 物理学者で随筆家だった寺田寅彦は「コーヒー哲学序説」という作品を残している。題名からすると、論文のようにも思えるが、コーヒーとのかかわりを書いたエッセーである。その中で次の2つの言葉は、コーヒーの本質を突いたもののように受け止めることができる。

「コーヒーの味はコーヒーによって呼び出される幻想曲の味であって、それを呼び出すためにはやはり適当な伴奏もしくは前奏が必要であるらしい」 「宗教は往々人を酩酊させ官能と理性を麻痺させる点で酒と似ている。そうして、コーヒーの効果は官能を鋭敏にして洞察と認識を透明にする点でいくらか哲学と似ていると考えられる」

 暦の上では冬に入った。しかし、見慣れたわが家周辺の光景は秋色に染まっている。天まで届くような勢いで伸びた庭の皇帝ダリアの紫の花が風に揺れている。街路樹のけやきの葉は黄色く染まり、こちらも葉が風に飛ばされ遊歩道を埋め尽くす勢いだ。

 農家の人が堆肥に使うらしく、落ち葉を集めている。調整池の背後にある雑木林も赤や黄色の色彩を施され、その景色は目に優しい。 そんな朝、コーヒーを飲みながら、寺田寅彦のエッセーを思い出した。

 寅彦は小学生のころ、医者から牛乳を飲むことを指示される。寅彦が生まれたのは1878年、明治11年のことだから135年前になる。当時の日本では牛乳は嗜好品・常用栄養品ではなく、病弱な人の薬用品だった。寅彦が初めて牛乳を飲んだのは8、9歳のころのことで、飲みにくく、飲みやすくするために医者は少量のコーヒーを入れてくれたのだという。

 寅彦が本格的にコーヒーと付き合うようになったのは32歳の時、ドイツ・ベルリン大学に留学してからだった。 下宿先は年老いた陸軍将官の未亡人が営んでいて、ひどく威張ったばあさんだったが、コーヒーだけはいい味のものを飲ませてくれた。寅彦は留学中、ヨーロッパを旅し各地でコーヒーを味わう。

 そして、「ロシア人の発音するコーフィが日本流によく似ている。昔のペテンブルグ(サンクトペテンブルグ)一流のカフィの菓子はなかなかぜいたくで、この国の社会層の深さが計られるような気がした。自分の出会ったロンドンのコーヒーは多くはまずかった。パリの朝食のコーヒーとあの棍棒を輪切りにしたパン(フランスパンのこと)は周知の美味である」など、作品に当時の感想を記した。

 帰国後は、日曜日に銀座の風月(堂)にコーヒーを飲みに出かけた寅彦は、「コーヒーを飲むためにコーヒーを飲むのではない」と思うようになる。それはどういうことか。

「自宅で骨を折ってうまく出したコーヒーを散らかした居間の書卓の上で味わうのは物足りなく、飲んだ気がしない。人造でもマーブルか乳白ガラスのテーブルの上に銀器が光っていて、一輪のカーネーションでもにおっていて、ビュッフェにも銀とガラスが星空のようにきらめき、夏なら電扇が頭上にうなり、冬ならストーヴがほのかにほてっていなければ正常のコーヒーの味は出ないものらしい」と考え、冒頭の幻想曲の言葉が続くのだ。

 たしかに雰囲気のいい場所で、気品のある器で飲むコーヒーの味は格別だ。昨今は、昔風の喫茶店は少なくなり、「セルフカフェ」といわれる形式のセルフサービスの喫茶店が主流であり、寅彦がなじんだコーヒーの世界とは様相が大きく変わっている。コーヒーをじっくり味わう雰囲気の場所は少なくなった。それでも、人はコーヒーによって「洞察と認識を透明にする」という点では、いまも変わりはないと、私は思うのだ。

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写真 1、天を突く皇帝ダリアの花 左上に飛行機の姿がかすか見える 2、けやきの落葉が目立ち始めた遊歩道の朝 3、目に優しい雑木林と調整池 4、5、6夕方の遊歩道 紅葉が際立っている3