小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1149 hana物語 あるゴールデンレトリーバー11年の生涯(15)誕生日が過ぎて

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 hanaは2002年7月1日の生まれで、この夏11歳になった。それから30日間でこの世を去ったが、毎年祝った誕生日のことが忘れることができない。それはユーモラスであり、hanaにとっては、ごちそうにありつける記念日でもあったはずだ。その誕生日を1回だけうっかり忘れていたことがあった。

 6歳になった2008年7月1日のことだった。 この日、私たち家族(当時娘2人が家にいたので4人暮らし)のだれもがhanaの誕生日であることを失念していた。私は朝の散歩もいつものようにやり、何の声も掛けずに出かけた。

 健忘症だったのは私だけでなく、家族全員だった。朝食でだれもそのことを話題にしなかったのである。 だが、一番hanaのことを気にかけている次女が夕方になって、大事な日であることを思い出した。次女から携帯電話のメールで「きょうはハナの誕生日だよ。祝いに好物の豆腐を買って帰る」と連絡があり、私は「ああそうだった」と思った。

 家族間では、だれかの誕生日近くになると、プレゼントはどうするなどという話をしているので、忘れることはない。だが、hanaは家族の一員のはずなのに、かわいそうに夕方まで忘れ去られていたのだ。 誕生日のお祝いは、豆腐をケーキのような形にして6本のろうそくを立て、記念撮影をする。hanaは早く食べたくて、落ち着かない。写真撮影が終わって「よし」と声をかけると、hanaは豆腐ケーキにかぶりつき、1分足らずでたいらげる。これで終わりなのという顔をしたhanaは、豆腐ケーキを入れた容器をぺろぺろなめる。あきらめるまで何度もそれをやる。

 当時私はhanaの6歳の誕生に当たって、こんなことを書いている。

《犬の6歳は、人間にたとえると40歳に当たるそうだ。「不惑」である。私の40歳当時を振り返り、果たして不惑の境地に達したか、はなはだ疑問に思っている。

 というよりも、当時の私はまだまだ迷い、惑う日々を送っていた。それはいまでもあまり変わらない。どうしたらそのような境地に達することができるのか。周囲をみても、不惑という言葉がピタリ当てはまるような人物はほとんどいない。 hanaは若いころに比べると、さすがに落ち着いた毎日を送っている。

 しかし、とても不惑という印象はない「変人」(私のことを家族が言う)飼い主に似ていてくせも少なくない。朝は寝起きが悪く、起こしてもなかなか目を覚まさない。好物の煮干を出すと、ようやくもそっと身体を起こす。雨が降ると、散歩は省略し、排泄を終えると急いでわが家に引き返す。

 内弁慶なので、外に出ると小さな犬にほえられると、飼い主の身体の陰に隠れるように小さくなる。なのに、宅配便や郵便屋さんがインターホンを鳴らすと、甲高い声でほえる。だれかが、アイロンをかけると慌てて、階段を駆け上がり、2階へと緊急避難する。アイロンをかけていた長女がふざけて蒸気をhanaに向けたことがあり、それ以来、アイロンは彼女の天敵になったのだ。

 犬は自分から飼い主を変えることは不可能だ。飼い主と相性が悪くとも、あきらめざるを得ないのだ。では、hanaはわが家の生活に満足しているのだろうか。私を除く家族への接し方を見ていると、まあ満足しているのかもしれない》

 この年以降、私たち家族はhanaの誕生日を忘れることはなかった。ことしの11歳の誕生日の早朝4時、hanaは胃の内容物を吐いた。体が病魔に侵されていたのだ。この夜、家族はhanaの好物である豆腐ケーキを食べさせ、健康回復を祈った。ろうそくは11本になった。誕生日のろうそくをあと4本くらいは増やせるだろうと思っていたが、それは叶わなくなった。(続く) 16回目

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