小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1129 ベトナム・カンボジアの旅(3) 授業料無料の日本語学校

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 シェムリアップアンコールワットのガイドをしてくれたパンニャヴットさんに「どこで日本語を勉強したのですか」と聞いたら、「シェムリアップ山本学校です。授業料は無料でした」と答えがあった。昼、観光の途中に立ち寄った土産店と道路を挟んで反対側にその名前の学校があった。

 どんな人が運営しているのか、気になった。 調べてみると、この日本語学校カンボジアの現地旅行手配専門会社(旅行代理店)として東京、プノンペンシェムリアップに営業所があるJHCアンコールツアーセンターという会社の会長である山本宗夫氏が私財を投じて1996年3月に設立した「山本日本語教育センター」だ。

 JHCアンコールツアーセンターのホームページによると、長い内戦によって疲弊したカンボジアの復興に役立てるため、さらに日本とカンボジアの友好を深めるために地元の理解と協力を得て設立し、日本語を学びたいと願う意欲的なカンボジアの若者への教育に力を注いでいるのだという。

 96年の開校式にはフンセン首相も出席したというから、当時から注目を集めた学校なのだろう。 カンボジア国内から選抜された学生たちが無料で3カ月コースと1年コースの2つのコースで日本語を学んでいるという。遠隔地出身の学生のために寮もあり、パンニャヴットさんも寮生活をして1年間学んだあと、ガイドの国家試験に合格しアンコールワットで日本人のガイドをしているのだそうだ。

 私たちが入った土産物店は2階建てで、1階が土産物店、2階がレストラン、別棟に2階建てのマッサージハウスがあり、そこの売り上げで日本語学校の運営をしているのだと聞いた。 国際交流の手法として、よく考えたものだと思う。土産物店には、日本語学校で学ぶ人たちの日本語による文集が置いてあり、それをめくっていたら、どの頁にも必死で勉強をする学生たちの姿を彷彿とさせる文章が載っていた。

 ほとんどが地方から出てきた学生たちで、苦労しながら勉強をしている様子が伝わってくる。 かつて、この学校で教師をしていた小島幸子さんという群馬県出身の女性がシェムリアップでクッキーショップをやっている。パンニャヴットさんは「私たちの学校の元の先生でした」と言いながら、その店に案内してくれた。小島さんは留守だったが、クッキーはアンコールワットの遺跡をかたどった小さなもので、シンプルな味が上品で日本人客に売れているという。 

 小島さんは2000年から山本学校で教え、04年にクッキーショップをオープンし、その隣にはカフェもある。年商1億円を超えており、日本の新聞雑誌にもカンボジアで起業し、成功した女性としてしばしば取り上げられている。パンニャヴットさんは「山本会長は病気で名古屋にいますが、会いに行きたい」と話し、山本さんがカンボジアの学生たちに慕われていることを伺わせた。

 尖閣問題で日中関係が悪化する前の昨年1月、中国の大学で日本語を学んでいる女子学生と知り合った。彼女は東日本大震災で両親と妹を失った岩手県宮古市の昆愛海(まなみ)ちゃん(被災当時4歳)を手紙で励ます形の作文を書き、それが優秀作品に選ばれ日本に招待されたのだ。

 日本語の先生は、元新聞記者だった日本人で「文章は読む人がその情景が見えるように書くこと、そしてリズムが大切」と教えてくれたと話してくれたことを覚えている。シェムリアップ山本学校の先生たちも、工夫を重ねながら若者に日本語を教えているのだろう。私はカンボジアの青年たちが、1年でガイドができるほど達者な言葉を身に着けることに畏敬の念を抱いてしまう。

 

4回目へ

写真は、気球が上がるアンコールワット 以下 1、第3回廊の壁画 2、山本日本語学校 3、右から2番目が山本さん 4、小島さんのクッキー店 5、シェムリアップで見かけた八百屋には、名も知らぬ果物がいっぱい

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