小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

955 すがすがしい小説「舟を編む」 言葉を楽しむ三浦しをん

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 朝、散歩をしていて池の周囲にある小さな雑木林の木々が緑の葉を出し始めていることに気がついた。柔らかい朝の陽光が緑の葉を包み込んでいるようだ。本屋大賞に選ばれた三浦しをんの「舟を編む」(光文社)は、朝の風が木々の葉ををかすかに揺らすような、すがすがしさを感じさせる作品だ。

「大渡海」という2900頁以上の広辞苑にも匹敵する大辞書を刊行することに情熱を傾けた人々の物語だ。辞書作りという地味な話を読み物に仕立てた三浦の力量はさすがだし、これを本屋大賞に選んだ書店員たちのセンスもいい。 読み終えて思うのは、三浦という作家が、いかに本が好きで辞書に親しんでいるかということだ。

 日本初の近代国語辞書といわれる「言海」の著者、大槻文彦は17年の歳月をかけて、ひとりで辞書作りに取り組み、4冊に及ぶ言海(明治22年から24年にかけて刊行)を完成させる。大槻の辞書作りに挑んだ生涯は高田宏の伝記文学「言葉の海」で詳しく紹介され、この作品は大佛次郎賞を受賞した。

「言葉の海」が硬派であるのに対し、「舟を編む」は軟派であり、いま風で軽い。それは硬いテーマに取り組んだ三浦が分かりやすさを求めたが故に達した心境の表れなのかもしれない。 2つとも辞書という言葉をテーマにした数少ない貴重な作品だ。舟を編むの中で、主人公の編集者、馬締(まじめ)と、辞書作りの中心になる日本語学者、松本先生が語り合う場面がある。

 海外では自国語の辞書を国家が関与して編纂することが多いが、日本ではそのような辞書は皆無であること、言海も公金の支給はなく、大槻が生涯をかけて私費で刊行されたこと、現在も辞書は出版社がそれぞれに編纂していること―などが話題になり、松本先生は「言葉は、言葉を生みだす心は、権威や権力とはまったく無縁な、自由なものなのです。また、そうであらねばならない。自由な航海をするすべてのひとのために編まれた舟『大渡海』がそういう辞書になるよう、ひきつづき気を引き締めてやっていきましょう」と、馬締に語りかける。

 辞書作りに黙々と取り組む学者や編集者の思いを、三浦が松本先生の口をかりて代弁したのではないかと私は思った。 言葉が時代とともに変化するものであることも、この作品は教えてくれる。「愛」や「男」「女」という言葉の解釈をめぐるやりとりも三浦の時代感覚の確かさを感じさせる。言葉の遊びを楽しむことができるという点では、井上ひさしに劣らない作家の誕生といっていい。

 写真は、新緑がすがすがしい雑木林