小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

864 「それでも、なおの頑張りを」 時代の風・伊佐木健著

                                      f:id:hanakokisya0701:20210503115034j:plain

 いま、日本の政治は危機にあるといっていい。それを政治家は意識しているのだろうか。そんな思いを抱くのは私だけではないだろう。そんな時、知人の伊佐木健さんから「時代の風 20―21世紀の政治をめぐって」(WWB/ジャパン出版部刊)という本が届いた。

 現役時代、共同通信社の社会部記者として「政治」を担当した伊佐木さんの政治に対する見方をまとめた本だ。最後の文章は「大震災」と題している。結びの言葉が心に響いた。 「私たちは、そして政治は、こうしたことを(震災と原発事故について、この前の段落で指摘している)深く心にとめて『それでも、なお』という頑張りを持って、国土と心がけの再建に努めるほかはないのだ」

 伊佐木さんは、社会部記者として、事件や事故よりも「政治状況」に目を向けた。その仕事ぶりはこの本に収録されている多数の記事が裏付けている。記者という職業は歴史の目撃者だ。そして、証言者でもある。伊佐木さんが第一線を過ごした時代は、自民党の全盛期だった。

 しかし、少しずつ綻びが出始める。その頂点ともいえる事件がロッキードリクルートという2つの事件だった。伊佐木さんはこんな時代を、冷静な目で見続けた。 2つの事件についての伊佐木さんの考察。

「両事件が明らかにしたのは①大企業や業界(財)が公共工事の受注、自由な金儲けを阻害している規制の緩和、自社製品の売り込みなどを目指して、政治家(政)、官僚(官)に献金し、政治家は関係官僚に働きかけ、官僚は自らの手で、その要求を実現させる②財界は、儲けた金の一部を謝礼や新たな要求実現のためとして、政、官に還流させる。―そんな日本社会の在りよう=癒着の構造であった」

 伊佐木さんは、現役時代に難病のパーキンソン病に侵され、病魔と闘い続けている。しかし昨年、ある会合でお会いした時、かなり元気を回復していた。一時は車いすを使っていたのに、自力で歩くことができるようになっていた。

 今回の本でも病気について触れた文章もある。北海道の北見市に近い津別町にあるチミケップを奥さんとともに訪れたことや民主党自民党を破って政権についたことを書いた「憂愁の湖・政権交代」だ。 特に前半の憂愁の湖・チミケップ湖の情景描写がいい。

《私たちはテラスの椅子に座った。夕暮れ時であった。空は曇っていたが、木々の深い緑はそれまで降っていた雨に濡れて鮮やか、木立を透いて見える湖面には、さざ波が立っていた。その時、私たちのほかには、誰もいなかった。ただ、小さなシマリスが、ホテルが設けた餌場にヒマワリの種を食べにやってきた。(中略)私たちは湖畔へ下りた。水は澄んでいたが、藻が繁っていて、湖底まで見透せず、ハヤのような魚の群れが桟橋に立つ私たちの足元に寄ってきた。私は桟橋の上に大の字になって寝ころんだ。自然の中でそんな格好をするのは何年ぶりだろう?空はその日も一面に薄い雲に覆われていたが、気持がよかった》

 伊佐木さんと片岡勝氏(市民バンク代表)、広岡守穂氏(中大教授)の3人による「21世紀の日本政治を展望する」という座談会(1996年12月19日に開催)も収録されている。三人三様に、21世の政治に不安を抱いている。この座談会から15年。その不安は現実になっている。