小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

863 音楽とともに歩んだ記者人生 アマチュアオーケストラは楽しい・松舘忠樹著

画像

 音楽の楽しみ方は人それぞれだと思う。この本(仙台市・笹気出版)の著者である松舘さんは、社会部記者を中心に長い間、報道機関のNHKで忙しい生活を送った。そんな生活の中でも松舘さんはヴァイオリニストとしてのもう一つの顔を持ち、クラシック音楽を楽しんだ。頁をめくりながらこんな人生もあるのだと、いまさらながらに松舘さんの歩みを知ってうれしくなった。

 以前のブログチャイコフスキーの「弦楽のためのセレナード ハ長調 作品48」とのかかわりについて触れたことがある。 私の一番好きな部類に入る曲である。手元のCDの解説には「殊のほか陽の光に満ちている。全曲を通して、幸福感のなかに平和で静謐なひびきがこだましているようだ」とある。

 松舘さんがコンサート・マスターを務める仙台シンフォニエッタというアマチュアオーケストラは、この曲に2回も挑戦した。しかも、2回目の2008年6月22日は指揮者なしで演奏したという。 この本は松舘さんが属する仙台シンフォニエッタの演奏会のプログラムに寄せた演奏曲目に対するエッセー風の解説を中心に、松舘さんとヴァイオリン、クラシック、各地のオーケストラとのかかわりを書いている。

 さらに後半では生まれ故郷であり、現役最後の任地になる青森への、静かだが愛おしさをこめたエッセー「私家版 青森賛歌」を載せている。 青森のむつ市で生まれた松舘さんは中学1年生からヴァイオリンを始める。父親が知人からヴァイオリンをもらったのがきっかけだったという。

 当時青森市にはヴァイオリンの先生が皆無だった。それでもむつ市にはなぜか松舘さんが師事した先生が2人もいた。だから松舘さんは「今にして思えば奇跡的といえる」と述懐している。 NHKの記者になった松舘さんは、転勤を繰り返す。盛岡、仙台、東京、福岡、高松、東京、仙台、青森。私とはこのうち盛岡の次の仙台と東京で接点がある。

 転勤先で松舘さんは地元のオーケストラにかかわる。新人の盛岡では設立時から「岩手県民オーケストラ」に参加し、初代のコンサート・マスターになるのだから愉快である。私と同時期に生活した仙台では「宮城フィルハーモニー」に加わり、プロと一緒に活動したという。

 当時の私にはヴァイオリンをやっているらしいくらいの記憶しかなく、オーケストラのメンバーとは、当然知らなかった。 この本では仙台シンフォニエッタが演奏した曲目のうち、松舘さんがプログラムの解説を書いたブラームスヤナーチェクチャイコフスキーモーツァルトメンデルスゾーンヴォーン・ウィリアムズ、服部公一、ハイドン、J・バッハ、芥川也寸志、アントン・シュターミツ、シューベルトについて触れている。

 中でもモーツァルトについては「疾走するモーツァルト」「人生をうつすモーツァルト」「永遠のモーツァルト」と、その代表曲(ほとんどがそうだが)を網羅している。 評論家の高橋秀夫は「疾走するモーツァルト」(新潮社刊)のあとがきで「最大の問題は、モーツァルトそのものをいかに把握するかである。音楽が専門的素養を要求するという面から、これは難問に違いない。

 専門家にとってもそうだろう。とはいえ私はある時、モーツァルトは人を沈黙させるとは言えない所がある、と気付いた。たしかに小林秀雄は『美は人を沈黙させる』と書いている。それを大命題として肯定した上で沈黙を強制しないモーツァルトというものをなおも信ずることができると私は思った」と書いた。

 松舘さんも「モーツァルトは難しい。そして、永遠の課題である」(モーツァルト讃)と打ち明けている。 私がひそかに好きな曲がある。ハイドン交響曲44番ホ短調《悲しみ》と77番変ロ長調の2曲である。オルフェウス室内管弦楽団が演奏したCDは、いつも近くにある。ことしは東日本大震災があった。44番にはことしのように、多くの人を喪ったときの悲しみがあふれていると思う。この曲を仙台シンフォニエッタが演奏する日が来るのだろうか。