小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

683 62歳から始めた力強い油絵 九十九里海岸・望月定子美術館にて

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 62歳から油絵を始め、89歳で亡くなるまで筆を離った女性の画家の存在を初めて知った。その画家の名前は望月定子という。 彼女が独力で創設したのが「望月定子美術館」だが、入場者は私たち夫婦以外だれもいなかった。「夏休みなので、大勢の人が来るでしょうね」と聞くと、受付の女性は首を横に振り「いええ」という。

 知名度が低く、訪ねる人は少なくとも、展示された150点に及ぶ油絵は、疲れた体に活力を与えてくれるような力強さがあった。 望月さんが絵を描き始めたのは海の家をやることになったのがきっかけだという。彼女は千葉の九十九里片貝で生まれ育った。

 片貝海岸で海の家を営んでいた兄が急死したため、後を引き継いだ望月さんは殺風景な部屋を何とかしようと、取り外したふすまに絵を描いた。当初は独学だったが、絵に目覚めた彼女は画家の斉藤良夫氏に師事する。 天性の素質があったのだろう。以来、彼女は「迫力・やさしさ・繊細さ・大胆さ・穏やかさ・荒々しさ」(美術館パンフより)といった、さまざまな印象の絵を次々に紡ぎだす。基本的は、彼女が愛してやまなかった九十九里の海岸を題材にしている。

 写真にある夕陽の中を海に入る男と女の子の2人の絵は、実は縦長ではなく、横長の絵である。幼いきょうだいらしい2人が海で戯れている。見る人によって受け止め方は様々だろうが、私は明日への希望を感じ取った。画像 この美術館ができたのは、1997年で望月が78歳の時だという。その5年前にはがんの宣告を受けて闘病する。がんを克服して、創作活動に復帰してこの美術館を独力で設立したのだ。

 俳人でもあった望月は「ふみしめる我が人生やくさ紅葉」と、晩年の心境を歌っている。 76歳になって「洟をたらした神」というノンフィクション作品で大宅賞を受賞した吉野せいさんは、福島の農家の主婦だった。夫の死後、詩人の草野心平に勧められて73歳のとき文章を書くことを再開し、人々の心を打つ作品を書いた。望月と似ている人生を歩んだのだ。画像(吉野せい)

 2人の姿に女性の強さを感じるのだが、同時に高齢になってもこうした創作活動を続けることができれば、人生は悔いなしである。見習いたいものだと思うのだが…。