小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

481 かあさんの家その後 人生終末期の過し方

  宮崎市にあるホームホスピス「かあさんの家」を訪問したのは今年1月のことだった。そこには、ヘルパーとともに、5人のお年寄りが住んでいた。認知症や末期のがんを抱え、人生最期のときを迎えようとしている人たちだ。7月16日夜、NHKがこの家をドキュメンタリー番組にして放映した。1月に会った懐かしい顔がテレビに映っていた。

 NHKの番組は、ここで暮らす認知症の女性を訪ねる娘と孫を中心に構成している。おばあちゃんを頻繁訪ねる孫の女の子2人は、純粋でかわいい。おばあちゃんだけでなく、この家に住む人とも仲良しだ。財前卓生さんという元ビジネスマンの部屋にも出入りして、元気づける。

  財前さんは、横浜からこの家に移り住んだ。がんで胃を摘出し、いまは自分の人生を振り返る日々のようだ。銀行員として、現役時代寝る間も惜しんで働いたという。かあさんの家代表の市原美穂さんらがやっている「聞き書き」にも財前さんは協力した。

  都市銀行に入り、愛した妻もいる。2人の子どもに恵まれ、順風満帆かと思われた財前さんの生活は、妻の死で変わる。男手一つで小さな子どもを育てながら、経済の高度成長時代のビジネスマンとして、多忙な日々を送る羽目になったのだ。

 しかし、いつしか子どもは独立し、財前さんは一人暮らしの生活が長い。そうした折にがんで胃をとってしまい、心細さが募ったときに、かあさんの家を知り、宮崎に移ったのだ。NHKの映像は財前さんの近況を伝えていた。

  衰弱し寝ている時間が多くなった。でも、2人の少女と会うのは楽しみにしている。財前さんの体調が悪いときには、2人は遠慮して、財前さんの部屋に入らない。ここでは財前さんは孤独ではない。話し相手のヘルパーさんや市原さん、それに様々な人生を歩んできた入居者もいる。

  いつか、人間は最期の時を迎える。たまたまきょう会った友人たちの情報で、幼なじみの1人が最近亡くなったことを知った。彼の人生の大半は知らない。しかし人生これからという年齢で区切りを迎えた幼なじみには掛ける言葉もない。

  かあさんの家で繰り広げられる少女と財前さんたちの交流。ほほえましいが、なぜか物悲しい。だが、こうした家族のような人たちとの生活を人生の終末期に送ることができるのは幸せなのかもしれない。

  追記 財前さんは8月9日午前3時半、かあさんの家で永眠した。かあさんの家の市原美穂さんらがきれいに体を拭いてひげをそると、微笑んでいる顔になったそうだ。ご冥福を祈ります。