小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

409 ふきのとう 苦い味は酒の友

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 娘が「ふきのとう」をどっさりもらってきた。春を告げる食べ物だ。てんぷらや味噌和えにしてもらう。一口食べると苦味が口の中に広まる。大人の味だ。これをもし喜んで食べる子どもがいたとしたら、大人びたやつだ。 最近までこの植物が私の誕生日(2月16日)の花言葉だとは知らなかった。友人に指摘されそんなものかと思った。

 念のためインターネットで調べて見ると、なるほどそう書いてある。「愛嬌、仲間、真実は一つ、待望」などの意味があるという解説だ。いずれもが、まあ前向きである。春に先駆ける植物としては妥当かもしれない。 苦味のあるてんぷらを食べながら、子どものころを思い出した。道端にも、野原にもこの花はあきれるくらいあった。

 学校の帰りに踏んづけて遊んだこともある。だから大人が好む食べ物とは考えたこともなかった。まともに食べるようになったのは、酒の味が少し分かってきたころだ。酒の友だと認識したのは30歳を回ってからだ。 ビタミンK、E、葉酸が含まれていて、昔から雪の間から芽を出したふきのとうを貴重な栄養源として日本人は食べる習慣を持った。生活の知恵なのだろう。

 万葉集山部赤人作としてこんな歌がある。「明日よりは 春菜(わかな)採(つ)まむと標(し)めし野に 昨日も今日(けふ)も 雪は降りつつ」 ここで歌われる「春菜」はふきのとうのことであり、万葉の昔からこの植物(山菜)は雪の間から芽を出す春を告げる植物の象徴と扱われたことがうかがえる。

 娘にふきのとうをくれた人は家屋敷が広く、この季節になると摘みきれないほどのふきのとうが庭や周囲の野に芽を出し、花を咲かせるのだそうだ。 昨年見た映画「西の魔女が死んだ」を思い出した。心に傷を負った少女が自然の中でイギリス人の祖母と暮らして、生きる力を取り戻す。私も、同じように自然の中で子ども時代を送った。