小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

388 ホームホスピスとは 宮崎のかあさんの家訪問記

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 2006年12月、末期のがん患者らを受け入れるホスピスや在宅緩和施設を運営する3人の話を聞いた。そのうち2つの施設、東京・山谷のホスピス「きぼうのいえ」と仙台の在宅緩和センター「虹」には翌2007年にお邪魔し、あらためて命の瀬戸際にある人たちのために献身するスタッフ、ボランティアの姿を見ることができた。

  もう1つの宮崎のホームホスピス「かあさんの家」はなかなかチャンスがなかった。しかしこの22日に訪問する機会があり、2年間ためていた宿題がようやく終わったような気持ちになった。

  かあさんの家を運営するのはホームホスピス宮崎というNPO法人で、代表が06年に話を聞いた3人のうちの1人、市原美穂さんだ。在宅ホスピスの勉強会からスタートした活動は、行き場のない高齢の末期がん患者や認知症の患者の受け皿として、民家を利用したホームホスピス・かあさんの家に発展する。2004年6月のことだ。宮崎市曽師町の1軒の貸し家で始まったかあさんの家は現在は3軒となり、1軒につき5人の患者をヘルパーが常時付き添い、24時間介護で預かっている。

  市原さんの案内で3つの家を回った。そこで3人の印象深い人に出会った。1軒目のかあさんの家曽師では元大学教授夫妻が他の人に交じって静かに暮らしていた。奥さんが重度の糖尿病で入院していた病院からも見離され、かあさんの家に来ることになった。当初、嫌がっていた奥さんだが、スタッフの献身的な介護に安心し心を開く。しかも、血糖値は正常になったというのだ。

  奥さんを見舞いにきた元大学教授のご主人は、奥さんの落ち着いた様子が気に入り、そのまま自分もかあさんの家に移ってきてしまった。もう90歳を過ぎているが、大学の先生らしくスタッフを時々注意したりするという。2人が寄り添うように椅子に座っているのを見た。その姿は自宅にいるという、落ち着いた雰囲気だ。2人は家族同様の人たちと一緒に暮らし、幸せなのだと思った。

  07年にオープンした檍(あおき)では、牧師を父に持つというクリスチャンのおばあさんに会った。彼女の部屋にはオルガンがあった。子どもが成長し夫も亡くなった彼女は1人暮らしをしていた。結婚した娘からは毎日のように母を気遣う電話があった。それに対し彼女はいつも元気だと答えていたが、ある時娘さんが帰ってみると、母親はがりがりにやせていた。

  認知症になった彼女は食べることを忘れるようになっていたのだ。かあさんの家でおばあさんは、毎日自宅から運んだオルガンを弾いている。弾くのは、昔から覚えている讃美歌だ。ピアノは家にあるのだが、彼女は市原さんと私に「ピアノもこの家にあるんですよ」と話していた。実際にオルガンを弾いてもらった。認知症が進んでいるようには思えないほど、楽譜を見ながらしっかりと演奏し、嬉しそうにニコニコ笑った。

  かあさんの家霧島(04年11月オープン)には元企業戦士といわれる人がいた。横浜からこの家に2008年1月にやってきたという元住友銀行(現在の三井住友銀行)の行員、財前卓生さんだ。なぜ財前さんが横浜から宮崎にきたのか。それは運命ともいえるエピソードがあったという。

  財前さんは、阪神大震災の直前に東京の勤務先からたまたま神戸の家に戻っていた。緊急の会議開催の連絡で、震災当日早朝の新幹線に乗り東京に向かう途中、神戸が大変な地震に遭遇したことを知った。財前さんの自宅は全壊してしまい、横浜で1人で暮らすようになった。銀行の関連会社社長をやって退職した後、がんで胃を摘出した。

  ある夜、ふと夜中の2時半に目が覚めた。寝付かれないまま、ラジオのスイッチを入れると、かあさんの家の市原さんがNHKのラジオ深夜便で話していた。「こんな家に住んでみたい」と思った財前さんは、1カ月の試験的な生活を経てかあさんの家に移り住んだ。それからもう1年が過ぎている。

  市原さんは、宮崎の先人たちの話を聞き、冊子にまとめる「宮崎聞き書き隊」という活動もしている。その語り部に財前さんもなり、市原さんの手で「父の雑記帖」という聞き書きが完成した。父親の日記から入って、これまでどのような人生を歩んできたかを語った財前さんの結びの言葉がいい。

  無着成恭さん。あー、この間いた人ね。「人は3つの欲がある。1つは食欲。食べなければ生きていけない。2つは性欲。子孫を残すことは生物の本能。それと3つは群れる欲。群れから離れたら生きていけない」。そういうこと言ったの?それで言うと、ここかあさんの家は群れる欲だよ。ここにいる人は本物の家族ではないけど、擬似家族だね。お互いに心配したり、スタッフも家族の一員だと思っている。根本は家族だね。夜中に起きて、覗くとスタッフがお茶に誘ってくれる。ほっとするよね。私にとって、みんな家族ですね。まったくね。

  かあさんの家のような、24時間体制の民家を使ったホームホスピスはほかにはあまり聞かない。いまの医療制度では、末期のがん患者でも一定期間を過ぎると、病院から退院を迫られる。だから、かあさんの家のような受け皿が必要なことはいうまでもない。仙台で在宅緩和センター虹を運営する中山康子さんも、先ごろ千葉大で行った講義で、医学部や看護学部の学生たちに「宮崎にかあさんの家というホスピスがあることを忘れないでください」と話していた。かあさんの家を訪問して、最期の時間を「家で過ごす」幸せと大切さをあらためて感じとった。