129 ビジネスモデルのまやかし 2つの挫折
起業家の間では、いつしか「ビジネスモデル」という言葉がもてはやされるようになった。言葉の響きはいいが、要するに「いかにしたらもうける手段ができるか」ということだ。基本的にいまの日本社会は利潤追求を最優先にしているのだから、それはそれでいい。
だが、待てよと言いたいことがある。福祉や教育の分野で利潤を追求するあまり、違法行為までしたら、何のための起業なのか。それが、今回のグッドウィル・コムスン、NOVAの問題だ。この2つの事業のリーダーはカリスマ的雰囲気がある。が、どう見ても福祉や教育という人間の根源を問う仕事をやっているようには思えない。
どちらも、どうしたらもうけるか、その手段に福祉と教育を選んだに違いない。目のつけどころがよかったのだろう。ほどほどにやっていれば、社会に貢献する人物としての一定の評価は得たかもしれない。しかし、両方ともやり過ぎたのだ。
前者は、未曾有の高齢化社会と介護保険制度を見据えた。そして、後者は国際化、グローバル化を見抜いての起業だったのだろう。双方、必要度の高い分野ではある。
だから、普通にやっていれば、多くの人々から感謝されたに違いない。一部には、こうして毎日ニュースで騒がれていても、悪い感情を持っていない利用者もいるだろう。
は、何にでも「産業」という言葉をつける風潮を受け入れることができない。「福祉産業」「教育産業」と聞くと、「何を考えているのですか」と、むきになって聞きたくなるのだ。「ビジネスモデル」云々ともてはやしたメディアの責任も大きいと言わざるを得ない。
2つの世界では、実は利益とは全く縁のない「ボランティア」がかなり多く寄与しているのである。そうした「無私の精神」で、毎日を送っている人たちから見れば、今回のカリスマたちの挫折は同情に値しないだろう。
ことしは、多くの企業の不祥事が続いている。これはしばらく収まることがないのかもしれない。新聞の社会面の「おわび広告」の多さにはあきれるくらいだ。企業は利潤追求に加えて、社会貢献が重要であることを経営者がどれほど認識しているのだろう。