小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

45 西ノ京で受けた善意 偶然の出会いも

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 雪の季節になった北海道から、日本列島は次第に秋から冬へと衣替えを続けている。だが、関東以西は、まだ紅葉が楽しめる。先日、京都、奈良と紅葉の古都を歩いてきたが、そこで、小さな善意に出会ったことは忘れられない。 奈良でのできごとだ。

「西ノ京」といわれる西大寺近鉄奈良線大和西大寺駅から近い)から薬師寺までのコースを1時間かけて歩いた。かつて100以上の建物があって、西の古刹として栄えた西大寺は、いまその面影はない。人の姿も少なく、ひっそりとしていて寂しいくらいだった。ここから唐招提寺を目指して歩いている途中、道を間違えてしまった。

 ちょうど自転車でやってきた65歳前後のおじさんに道を尋ねた。すると、彼は「えっ!」と声を出し、そんなに歩くのかと驚いた様子。 歩くことは慣れている。毎日、朝夕各1時間は散歩をしている身なのである。「まだ5㌔くらいあるなあ」と言ったおじさんは、近道を教えてくれた。

 礼を言って歩き出す。すると、おじさんがUターンしてゆっくりと後をついてくる。約1㌔。立ち止まると、彼はあらためて唐招提寺への道を説明する。「大丈夫です。分かりました。ありがとうございます」とお礼を言うと「いや、暇なのですから、気を使ってもらわなくても。唐招提寺に行くなら、薬師寺にも足を延ばしてください」と大きな声で言うと、くるりと向きを変え、去っていく。

 教えられた道を歩き出した。普段の散歩はいつも見慣れた光景なので、いくら歩いても疲れは感じない。しかし、初めての道は、目的地まで何と遠いと感じることか。30分以上歩いても唐招提寺は見えない。不安に思い、向こうから自転車でやってきたおじさん(70歳前後か)に声をかけ、あとどれくらいかを聞いた。

 この老人も、よく歩くなという顔をしながら、道案内をしてくれる。しばらくして、信号待ちをしているところにUターンしてきて、もう一度説明をしてくれたのである。奈良の人は優しい。2人の善意に心から感謝した。 到着した唐招提寺(中国の高僧 鑑真和上により創建された律宗の総本山)は、金堂(国宝)の平成大修理の真っ最中。金堂は写真のように、無機質な金属で覆われている。これを知っていれば、行くことはなかっただろうにと思った。

 道を教えてもらったおじさんに言われた通り、もちろん、薬師寺にも行った。ここのお目当ては何といっても玄奘三蔵院に奉納された平山郁夫の大唐西域壁画殿である。対面した平山画伯の中国・シルクロードの世界に圧倒され、心が洗われる思いで見入った。  

 京都の神社仏閣は、どこも紅葉の最盛期。南禅寺の池に映る紅葉もまた格別だった。しかし、交通渋滞はひどい。東京だって、京都ほどの交通渋滞はないだろう。やっときたバスは超満員で乗れず、中心街ではノロノロ運転と、京都の街中は交通マヒの状態だった。 銀閣寺から南禅寺へ通じる「哲学の道」は、琵琶湖疎水に沿って、遊歩道となっており、歩くには快適な道だ。哲学者・西田幾多郎がこの道を散策しながら思索にふけったことで知られる。

 ことし春に行ったドイツ・ハイデンブルグにある本家「哲学の道」はネッカー川の両岸に広がるハイデンブルグの町を見下ろす小高い丘にある。同じ「哲学の道」でもハイデンブルグと京都のではかなり印象が違うといえるだろう。 混雑する京都のデパートで、東京の知人と偶然出会った。「人生とは邂逅である」(亀井勝一郎)という言葉が浮かんだ。

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