小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

10 神様は海の向こうにいた(1)

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「神様は海の向こうにいた」という題のついた戦争体験集を読みました。かつての棚倉藩の城下町である福島県棚倉町に関係する10人の男女の太平洋戦争当時の思い出を書いた「戦争告発の書」です。

 わずか93ページの薄い小冊子なのですが、そこに書かれている文章は、戦争という事実をつぶさに記していて、心穏やかに読み進めることはできませんでした。粛然とした思いを抱きました。題名にもなった「神様は海の向こうにいた」を書いたのは大槻栄さんです。

  戦争のために人間の命を犠牲にした人間魚雷(小型船に爆薬を積んで米軍艦に体当たりする特攻隊)に乗り組み、米軍艦に突っ込みながら救助され、米国で捕虜生活を送った経緯を書いています。

  数年前、大槻さんは救助後収容されたハワイの病院を奥さんとともに再訪したそうです。人間魚雷の訓練に参加した友人は海底に砕けた骨となり、戦友会はないと記した大槻さんはこの書の完成前に亡くなったとのことです。心残りだったに違いありません。

  原亀寿さんの「ガダルカナルからインパール」は、太平洋戦争の中でも激戦地だったガダルカナルインパールの戦いを描いています。私もかつて取材でガダルカナルを訪問したことがありますが、吉川英治賞を受賞した真保裕一の「栄光なき凱旋」という本を最近読んで、餓死が相次いだ悲惨な日本軍の実態にあらためて慄然としたことを隠すことはできません。

 原さんはこの後インパール作戦にも参加し途中で逃亡を図り、英軍の捕虜になったとのことですが、よく生き延びたものだと感心します。

 本土から離れた海外での戦争体験記を書いたのは「戦争は私の心の中ではまだ終わっていない」の古田土キイさん、「敗戦、そして故国へ」の門叶恵さん、「死者のほとんどは餓死だった」の衣山武秀さん(本書の編集者)の3人です。

  古田土さんは「大陸の花嫁」として、旧満州(現在の中国東北部)に渡り、ソ連(現在のロシア)が参戦し大混乱に陥った満州から避難ができずに中国人と結婚してそのまま中国に残留したそうです。

  日本に永住帰国後、前の夫と再会したとのことですが、「言葉にならないほど深い思いが脳裏をかけ巡りました」と記した古田土さんの心中を思うと、涙が湧きそうになります。

 門叶さんも旧満州からの辛い引き揚げの思い出をつづっています。社会部記者時代、私は中国残留日本人孤児と中国残留婦人問題を担当し、旧満州各地を取材で訪れ、長春市にも行きましたが、本当に美しい街です。ここから疎開した国境の安東で終戦を迎えた門叶さんの家族は東シナ海を小さな発動機船に乗って中国を脱出し、韓国経由で帰国の途に着いたそうです。その辛い経験を門叶さんは終生忘れることはないでしょう。

 フィリピンのミンダナオで生まれたという衣山さんは、島全体が戦争に巻き込まれ、逃げ込んだジャングルで餓死や病死を眼の前にして生き延びた少年時代を振り返っています。衣山さんは、自身の体験記の最後に「日本の店先に並んでいるバナナを食べるとき、過去も現在もフィリピンと日本がつながっていることを忘れないでください」と記しています。この心情を多くの人に理解してほしいと痛感します。

  そして、金沢昌子さん(私たちの戦争を奪った戦争)、陳野政子さん(米軍の爆撃で散った友人たち)、中島節子さん(風船爆弾をつくった乙女たち)、塩田静枝(母の手で育った5人の子ども、筆者の姉)、紺野リカ子さん(東京から近津に疎開して)の5人は楽しいはずの少女時代を暗く、悲しく、辛く送ったことを記しています。

  少女時代の勤労動員、そして友人が亡くなった空襲体験はいまも彼女たちの脳裏から消えることはないのでしょう。

 父を戦争で失い、5人きょうだいの長女として祖母、母とともに合歓の木のある坂道を歩いていた経験を書いた塩田は私の姉なのです。末っ子として生まれ父の顔を知らない私は姉の手記を読んで、祖母、母、姉たちの苦労は決して忘れまいと誓いました。

  昨年は戦後60年でした。1945年2月に生まれた私は今年で61歳になりました。幸いにして、私達の世代は戦争という不幸な歴史を体験していません。 

 しかし、いまもこの地球上のどこかで、人間同士の殺し合いが続いています。サッカーのワールドカップでは、世界中が一体となっているにもかかわらず、戦火はこの地球から消えそうにありません。

  この本は戦争の残酷さを体験した人々が、21世紀に生きる世代に平和を願って「贈る言葉」としてつづったものだと思います。平和の尊さを忘れた現代だからこそ、こうした証言集の大事さを痛感します。風化している戦争の実態を知るためにも、多くの若人にぜひ読んでほしい作品です。

 (注)この本の問い合わせは福島県東白川郡棚倉町宮下11-2衣山武秀さんまで