絵画
太平洋戦争中、画家たちは軍部の依頼・指示によって国民の戦意高揚を意図する絵を描いた。エコール・ド・パリの画家として知られる藤田嗣治もその一人だった。東京都美術館で開催中の「藤田嗣治展」で、そのうちの2枚を見た。彼を有名にさせた「乳白色の画…
那覇市首里の一角に、かつて画家たちが住み、駐留米軍の関係者と交流した「ニシムイ」と呼ぶ地区があったことを、今回初めて知った。2009年には沖縄県立博物館・美術館で、この画家たちの美術展も開催されたという。ニシムイの画家たちの存在を知ったの…
吉増剛造は「全身詩人」と呼ばれている。変わった呼び方だが、沖縄県立博物館・美術館で開催中の「涯(ハ)テノ詩聲(ウタゴエ) 詩人吉増剛造展」を見て、合点がいった。言葉としての詩だけでなく、写真や映像、造形まで活動範囲は広く、沖縄にも接点がある…
若い友人が「急性リンパ性白血病」を克服した体験記を書きました。この文章の中にはいくつかの「物語」が凝縮されています。私は心を打たれ、泣きました。 かつてこのブログで、小児がんのため幼くしてこの世を去った石川福美ちゃんのことを取り上げたことが…
先日、久しぶりに東京を歩いた。昨年9月のけが以来、長時間東京を歩いたのは初めてだった。手術をした右足は、駅やビルの階段の上り下りで、ややもたついた。これもリハビリのうちと思い、なるべく階段を使った。帰宅後、万歩計を見ると、1万5000歩を…
遊歩道のけやきの葉が緑から黄色へ、さらに黄金色に変化した。その葉が落ち始め、遊歩道は黄金色の絨毯に覆われたようだ。《むさしのの空真青なる落葉かな》水原秋櫻子の句である。私が住むのは武蔵野ではないが、遊歩道から見上げる空はまさに蒼茫の世界が…
チェコ出身でよく知られているのは、音楽家のアントニン・ドヴォルザーク(1841~1904)である。音楽評論家の吉田秀和は「ボヘミアの田舎の貧しい肉屋の息子は、両親からほかに何の財産も与えられなくても、音楽というものをいっぱい持って、世の中…
彫刻家、画家である草間彌生は、自伝『無限の網』(新潮文庫)の中で、「芸術の創造的思念は、最終的には孤独の沈思の中から生まれ、鎮魂のしじまの中から五色の彩光にきらめきはばたくものである、と私は信じている。そして今、私の制作のイメージは、『死…
ピーテル・ブリューゲル(1526/1530年ごろ~1569)は、2点の「バベルの塔」の作品を残している(もう1点描いたといわれるが、現存していない)。多くの画家がこのテーマで描いているものの、傑作の呼び声が高いのはブリューゲル作である。そ…
西洋絵画には、見る者に戦慄を感じさせるものが少なくない。そうした絵画を中野京子はシリーズで取り上げた。その第1作はラ・トゥールの『いかさま師』からグリューネヴァルトの『イーゼンハイムの祭壇画』まで22の作品を恐怖という視点で紹介した『怖い…
建築家、安藤忠雄氏の愛犬の名前は「ル・コルビュジエ」というそうだ。どこかで聞いた名前だ。そう、フランスの20世紀を代表する同名の建築家(1887年10月6日―1965年8月27日)である。上野の国立西洋美術館を含め、彼が設計した建物が世界文…
先日、秋田市立千秋美術館の「最後の印象派」展を見た。20世紀初頭のパリで活躍した画家たちの絵80点を集めたものだ。入場者はそう多くはなく、ゆったりと時間が流れる中でじっくり絵を見ることができた。一方、上野の東京都美術館で開催中の伊藤若冲展…
伊藤若冲(1716~1800)が「「巧妙無比」と言った絵が私の目の前にあった。それは仏画「釈迦三尊像」のうちの2幅「文殊・普賢像」であり、先日見たばかりの若冲の絵と重ね合わせた。東京・世田谷の静嘉堂文庫美術館に出掛けた。東急田園都市線の二…
伊藤若沖(1716~1800)は江戸時代の絵師で高い写実性に加え、想像力を働かせた作品が特徴であることから、「奇想の画家」と呼ばれている。東京都美術館で22日から始まった生誕300年記念の「伊藤若冲展」はまさかと思えるほどの人が詰めかけ、…
東京・上野の国立西洋美術館で開催中の「カラヴァッジョ展」には、世界公開が初めてという《法悦のマグダラのマリア》(注1)が展示されている。2014年に発見され、真筆と鑑定された作品だ。カラヴァッジョは鮮烈な光と濃い闇のコントラストを効果的に…
殺人犯として追われるほど破天荒な生活をする一方、バロック絵画の創始者として名を残したのは、イタリアのミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(1571-1610)である。国立西洋美術館で開催中の「カラヴァッジョ展」(カラヴァッジョ作品…
殺人犯として追われるほど破天荒な生活をする一方、バロック絵画の創始者として名を残したのは、イタリアのミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(1571-1610)である。国立西洋美術館で開催中の「カラヴァッジョ展」(カラヴァッジョ作品…
森アーツセンターギャラリー(東京・六本木)で開催中の「フェルメールとレンブラント:17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち展」を見た。オランダのこの世紀の代表的画家といわれるフェルメール(1632~75)とレンブラント(1606~69)の作品(…
森アーツセンターギャラリー(東京・六本木)で開催中の「フェルメールとレンブラント:17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち展」を見た。オランダのこの世紀の代表的画家といわれるフェルメール(1632~75)とレンブラント(1606~69)の作品(…
1781年(明和元年)に書かれた二鐘亭半山(木宝卯雲)の京都見聞録『見た京物語』には「花の都は二百年前にて今は花の田舎たり、田舎にしては花残れり」という記述がある。「花の田舎」というのが江戸時代中期の京都のイメージである。それから235年…
美術とは何だろうと、約500年前の2つの名画を見てあらためて考えた。それはレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519)の「糸巻きの聖母」とサンドロ・ボッティチェリ(1444/45~1510)の「書物の聖母」である。活動時期が重なり、ルネ…
美術とは何だろうと、約500年前の2つの名画を見てあらためて考えた。それはレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519)の「糸巻きの聖母」とサンドロ・ボッティチェリ(1444/45~1510)の「書物の聖母」である。活動時期が重なり、ルネ…
12月になった。季節は冬。人生でいえば長い歴史を歩んできた高齢者の季節である。最近、歴史を考える機会が増えた。それは絵画であり、映画だった。まず、絵画展。「村上隆の五百羅漢図展」(六本木ヒルズ、森美術館)、DIC川村美術館(千葉県佐倉市)…
12月になった。季節は冬。人生でいえば長い歴史を歩んできた高齢者の季節である。最近、歴史を考える機会が増えた。それは絵画であり、映画だった。まず、絵画展。「村上隆の五百羅漢図展」(六本木ヒルズ、森美術館)、DIC川村美術館(千葉県佐倉市)…
映画「FOUJITA」は、フランスを中心に活動した画家、藤田嗣治(1886~1968)の半生を描いた日仏合作の作品だ。監督は小栗康平、主演はオダギリ・ジョー。藤田といえば、オカッパ頭とロイドメガネで知られ、1820年代のパリで日本画の技法も取り入…
家の前にある遊歩道には、けやきの木が街路樹として植えてある。そのけやきの葉がことしは特に色づいているように見える。いまが紅葉の盛りのようだ。最近訪れた那須高原でも美しい紅葉を見ることができた。それも数十年ぶりの友人との再会という嬉しい出来…
詩人の大岡信は、『瑞穂の国うた』(新潮文庫)というエッセーの中で、秋のしみじみとした感じを象徴するのは酒であり、騒がしいビールの季節が終わり、10月は静かな日本酒の季節だという趣旨のことを書いている。 酒がおいしい季節がやってきて、私の部屋…
詩人の大岡信は、『瑞穂の国うた』(新潮文庫)というエッセーの中で、秋のしみじみとした感じを象徴するのは酒であり、騒がしいビールの季節が終わり、10月は静かな日本酒の季節だという趣旨のことを書いている。酒がおいしい季節がやってきて、私の部屋…
新聞に首相動静という欄がある。そこには首相の前日の動きが掲載されている。ちなみに昨日(8日)の夜の動静は「午後6時53分、東京・内幸町の帝国ホテル着。同ホテル内の宴会場『梅の間』で日本経済新聞社の喜多恒雄会長、岡田直敏社長らと会食。午後8時55分…
日本画の技法を油彩画に取り入れ、エコール・ド・パリの画家として知られている藤田嗣治は1931年南米旅行をした際、ペルーのクスコを訪れている。標高3400メートルの高地にあるクスコはかつてのインカ帝国の首都で、インカ文明の中心地だった。ここ…