小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

人生

1822 400勝達成の裏で 金田に贈る川上の言葉

プロ野球で大選手(大打者)にして大監督といえば、川上哲治と野村克也の2人だろう。6日に86歳で亡くなった金田正一は、前人未到といわれる400勝を達成し日本では最高の投手といえる。ロッテを率い日本一も経験したが、監督の力量としては川上と野村…

1797 時間に洗われ鮮明になった疎開体験 「カボチャとゼンマイえくぼ」のこと

改元で平成から令和になり、昭和は遠くなりつつある。多くの国民が未曽有の犠牲を強いられた戦争が終わって74年になる。時代の変化、世代の交代によって戦争体験も確実に風化している。しかし、当事者にとって歳月が過ぎても決して忘れることができないも…

1790 マロニエ広場にて 一枚の絵にゴッホを想う

近所にマロニエ(セイヨウトチノキ)に囲まれた広場がある。その数は約30本。広場の中心には円型の花壇があり、毎朝花壇を囲むように多くの人が集まってラジオ体操をやっている。私もその1人である。既にマロニエの花は終わり、緑の葉が私たちを包み込ん…

1777 小説『俺だけを愛していると言ってくれ』 一時代を駆け抜けた男への挽歌

言うまでもなく、人生は出会いと別れの繰り返しである。長い人生の旅を続けていると、邂逅の喜び、悲しみに鈍感になる。とはいえ、誰もが「別れ」は使いたくない言葉のはずだ。友人が書いた中編小説『俺だけを愛していると言ってくれ』(菅野ゆきえ著・文芸…

1762 無頼の人がまた消えた 頑固記者の時代は遠く

私がこの人に初めて会ったのは、ホテルオークラと米国大使館側の裏玄関からエレベーターに乗った時だった。共同通信社はかつて虎ノ門にあった(現在は汐留)。7月。この人は白系統のサマースーツ姿で、まぶしいばかりだった。東京の人は気障だなと思った。…

1754 若者の未来奪った五輪の重圧 円谷幸吉の自死から51年

東京五輪のマラソンで銅メダルを獲得した円谷幸吉が自殺をしたのは1968(昭和43)年1月9日のことである。27年の短い生涯だった。あれから51年の歳月が流れている。円谷の自殺に関しては当時から、次のメキシコ五輪で金メダルをという重圧を受け…

1753 天に通じる肉親の言葉 池江選手の白血病公表

「人事を尽くして天命を待つ」というよく知られた言葉がある。「人としてできる限りのことをして、その結果は天の意思に任せるということ」(大修館書店・明鏡国語辞典)という意味だ。中国南宋時代の政治家で儒学者、胡寅(こいん)が記した『読史管見』に…

1747 苦しい経験を生きる糧に 引退の稀勢の里へ

大相撲の横綱稀勢の里が引退した。横綱在位12場所、15日間を皆勤したのはわずか2場所という短命な横綱だった。記録面から見ると、不本意な力士生活の頂点だったといえる。だが、なぜか気になる存在だった。それは相撲ファンに共通する見方だったかもし…

1746「魅力に満ちた伝統建築と風景のものがたり」続・坂の街首里にて(6)

沖縄在住20年になる友人が、沖縄の建築物と風景を紹介するコラムを書き続けている。過日、その友人に会い懇談した。沖縄の魅力に惹かれて夫とともに本島中部の本部町に移住した友人はすっかり沖縄の人になっていた。 友人は馬渕和香さんといい、翻訳家の夫…

1740 続・一筋の道 ある健康法

知人の八木功さん(84)は、このブログで何回か取り上げていますが、東京・蒲田を中心に羽根つき餃子として有名になった「你好」(ニーハオ)の創業者です。9月の新橋店に続いて23日に新宿店が歌舞伎町にオープンしましたので、現在「你好」は宴会用の店を…

1724 59歳まで投げ抜いた伝説の投手 その名はサチェル・ペイジ

日本ハムから大リーグ(MLB)のエンゼルスに移籍し、投手と打者の「二刀流」で活躍した大谷翔平の新人王受賞が決まった。何よりのことである。大谷と比較されるのは、大リーグ史上最もよく知られているベーブルースだろう。ルースは、二刀流から出発し、…

1714 2つの蜘蛛の糸 秋田の「命のまもりびと」

「私たちの活動は、(死に向かって)落ちそうになる人を受け止めるサーカスの網のようなものです。生きていれば楽しいことがあります。相談者には生きることに勇気と希望を持ってもらいたいのです」。中村智志著『命のまもりびと』(新潮文庫)を読んだ。秋…

1711 オプジーボと先輩からのメール 本庶佑さんのノーベル賞に思う

職場の先輩Yさんが肺がんで亡くなったのは2017年3月のことだった。闘病中のYさんから、当時としてはあまり聞きなれない「オプジーボ」という薬を使っているとメールをもらったことがある。がん患者には光明ともいえる薬である。この薬の開発につなが…

1707 感動の手紙の交換 骨髄移植シンポを聴く

命が大事であることは言うまでもない。人間にとってそんな基本的なことをあらためて考える機会があった。骨髄移植に関するシンポジウムでのことである。骨髄移植。日常的にはこの言葉を聞くことは少なくない。だが、その実情は私を含め、多くの人は知らない…

1694 戦いに仆れた沖縄県知事 「わたしは人間だったのだ」

人は理不尽なことに対し、どのように向き合うか。その一つの答えを示し、道半ばにして仆れたのは現職でがんのために67歳で死去した沖縄県の翁長雄志(おながたけし)知事だった。孤軍奮闘という言葉は、この人のためにあったといって過言ではあるまい。普…

1649 病床で見たゴッホの原色の風景  友人の骨髄移植体験記

若い友人が「急性リンパ性白血病」を克服した体験記を書きました。この文章の中にはいくつかの「物語」が凝縮されています。私は心を打たれ、泣きました。 かつてこのブログで、小児がんのため幼くしてこの世を去った石川福美ちゃんのことを取り上げたことが…

1629 俳句は健康の源 金子兜太さん逝く

「俳句は健康の源になる」と言ったのは、20日に98歳で亡くなった俳人、金子兜太さんだ。太平洋戦争で海軍主計中尉として南洋のトラック島で敗戦を迎え捕虜生活を送った金子さんは、戦後日本銀行に勤めながら俳人としての道を歩んだ。当然ながら多くの死に接…

1627 銀メダリストの光と影 2人の名選手を思う

第23回平昌冬季五輪で、これを書いている16日午前現在、日本選手はこれまで金メダルは獲得していない。しかし銀4、銅3という活躍を見せている。スキー複合ノーマルヒルの渡部暁斗とスノーボード男子ハーフパイプの平野歩夢は2大会連続して銀メダルを獲得…

1623 絶望の淵に立たされても 2つのエピソード

若い友人が書いた中編小説を読んだ。必要に迫られて書いたという作品を読んで、以前に見た小さな展覧会の絵を思い出した。それは、小児がんの子どもたちの絵画展だった。あれからもう10年になる。それは私にとって「命とは何か」を考えるきっかけとなる重…

1620 だれもが人類という大きな木の一部 ルーツについて

「ルーツ」という言葉が一般化したのは、アフリカ系アメリカ人であるアレックス・ヘイリー(1921-1992)の同名の小説がベストセラーになり、これを原作にしたテレビドラマが大ヒットしたことが挙げられる。「根、根元、大本」のことで、「さかのぼ…

1598 ある友人の墓碑銘 「一忍」を胸に…

9月に亡くなった高校時代の友人の墓に詣でた。千葉県鎌ケ谷市のプロ野球日本ハム2軍用の「ファイターズ鎌ヶ谷スタジアム」に近い、自然公園風の美しい墓地である。50段近い階段(足腰の悪い人用にはモノライダーという小さなモノレールのような乗り物が…

1596 病室は高齢化社会の縮図 わが入院記

足のひざ付近のけがで26日間にわたって、入院する羽目になった。当初、手術から1週間程度で退院できるのではないかという医師の話だった。だが、実際に患部を開いてみると傷は大きく、結果的に1カ月近い入院生活を送らざるを得なかった。入院した4人部…

1575 日野原さん逝く 伝え続けた平和と命の大切さ

生涯現役を貫いた医師の日野原重明さんが18日亡くなった。105歳という日本人男性の平均寿命(80・75歳=2017年3月、厚労省発表。女性は86・99歳)を大きく超える長命の人だった。日野原さんが生まれたのは1911(明治44)年10月4…

1574 宇良の涙 小さな大力士の道へ

大相撲で小さい体の前頭4枚目、宇良が横綱日馬富士に勝った。テレビのインタビューで涙を流した宇良を見て、誰しも「よくやった」と思ったに違いない。つい数年前(大学2年生当時)60数キロしかなかった宇良が横綱に勝った事実は、人には不可能がないこ…

1556 浅田真央の引退 記憶に残る美しい演技

フィギュアスケートの浅田真央が引退を表明した。26歳であり、10代の若い選手が台頭するフィギュアスケート界ではベテランの年齢に達し、ついに燃え尽きたといっていい。数えてみると、このブログで浅田をテーマに9回書いている。個人についてこれだけ…

1530 M君の急逝 セネカの言葉で考える人生の長短

中学時代の同級生だったM君が急逝した。ことし7月一緒に旅行をしたばかりで、訃報に耳を疑った。故郷・福島での会合に出て、川崎の自宅に戻った直後のことだったという。ローマ帝国時代の政治家でストア学派の哲学者ルキウス・アンナエウス・セネカは「生…

1523 読書家の生きた証 本を愛して

9月末に亡くなった先輩は読書家だった。同時に、渥美清主演の映画「男はつらいよ」をこよなく愛した人情家だった。 弔問に訪れると、2つの部屋にはおびただしい蔵書が置かれ、在りし日の先輩の写真が机の上に飾られていた。ほぼ日本文学に特化した蔵書は、…

1506 野球界の光と影 イチローの3000本とAロッドの引退

8日(現地時間7日)大リーグ、マーリンズのイチローが3000本安打を達成した。一方、3000本安打を打っているヤンキースのアレックス・ロドリゲスが引退を表明した。2人は対照的な打者だった。 「細くて小さなプレーヤーが、巧みなバットコントロー…

1504 千代の富士挽歌 風は過ぎ行く人生の声

8月になった。ことしの立秋は7日だから、暦の上での夏はきょうを含めてあと6日しかない。とはいえ、心地よい秋の風が吹くのはまだだいぶ先のことだ。盛夏の昨7月31日、大相撲で初めて国民栄誉賞を受賞した第58代横綱千代の富士が亡くなった。61歳…

1500 年輪を刻んで 懐かしく、心温まる人たちとともに

日本各地には、「巨樹」と呼ばれる大木がかなり存在する。福島県いわき市の国宝・白水阿弥陀堂の境内にも、イチョウの大木があった。いわき市の天然記念物に指定され、樹高29メートル、幹回り5・9メートルで、推定樹齢は不明だという(いわき市HPより…